寶筐印陀羅尼和解秘略釈 蓮體・・1/3
(蓮體は江戸時代中期の僧。真言僧。叔父の浄厳にまなび,名刹河内延命寺を継ぐ。「礦石集」や「観音冥応集」などの著。)
夫れ寶筐印陀羅尼は遮那の心肝、成仏の直道なり。密門五尺の童も亦、能く誦念せずといふことなし。而も其の秘趣を談ずるに至っては、碵徳・老宿といへども或は傳へざることあり。嚮に亮汰(長谷寺11世)師、科註三巻を撰して具さに解釈すといへども、深奥の義を秘して出さず。頃載、盛んに流布して講説頗る多く、造塔の人も亦少なからず。或人予に請じて曰く、此の塔を造り陀羅尼を誦す、經説甚だ甚深なりといへども、愚蒙の尼女、其の密意を窺ひがたし。願はくは和解を加へて流伝せば豈小補ならずや、と。予が曰く、密乗は面授口訣を本とす。安ずくんぞ和解を事とせんや。況や復た天下の書、逾多くして理、逾よ昧く、学者逾よ多くして心逾よ弛む。文章逾よ麗しく議論逾よ高くして其の修行の實は逾よ以て古の沙弥児童にも及ぶことなし。唯だ口を箱(つぐ)まんにはしかじと。客の曰く、辨ぜざれば謬ることも亦逾よ多し。敢て乞ふ、其の枢要を挑(かかげ)よ。寧ろ委釈をしも望まんや、と。因って止むことを得ず、二三子の為に略して秘義を述す。冀はくは披き見ん人、諺解の浅近なるを以て義理の深遠なることを忘るることなかれ。又、此の經の奥旨は阿闍梨にあらざれば傳へふべからず。但し深く信じて受持すべし。慢意を生じて珍寶を朽ちすことなかれ。
旹(とき)に
寛永七庚寅年六月朔日河内藥授山延命寺苾芻蓮體書
宝筐院印羅尼和解秘略釈巻上
一には直に経文を和釈す。
二には略して題號の秘趣を釈す。
三には一切の二字に三身の義を具する事。
四には一切の二字に三種舎利の義ある事。
五には三身如来の事。
六には如来の二字秘釈の事。
七には如来の梵語・字義の事。
八には心に多種あり、悉多、汗栗駄二心の事。
九には心の梵語秘釈の事。
十には秘密に二義あり一には衆生秘密の事。
十一には真実心は即ち阿字門の事。
十二には阿字観の事。
十三には無智の画師喩の事。
寶筐印陀羅尼和解秘略釈巻上
将に此の經を釈せんとするに四段あり。初めには直に経文を和解し、二には略して題號の秘趣を釈し、三には經中の密意を解釈し、四には問答料簡なり。
第一に直に経文を和解すとは
一切如來心祕密全身舍利寶篋印陀羅尼經 大興善寺三藏沙門大廣智不空奉詔譯
是の如く我聞き。一時に仏(変化法身)、摩伽陀國の無垢園の中の寶光明池(自性法界宮)に在して、大菩薩及び大聲聞・天龍・八部・人非人等の無量百千の大衆(四重圓段の聖衆)の為に恭敬囲遶せられて説法し玉ふ(常劫三世一切時の説法)。
爾時に衆中に一りの大婆羅門あり。無垢妙光(疑ふらくは虚空無垢執金剛(大日経に最初にでてくる持金剛者))と名く。多聞・聰慧にして人の見んと楽(ねが)ふ所なり。常に十善を行じ三寶を帰信して善心慇重に智慧微細なり。常恒に一切衆生をして善利を円満し大富を豐饒ならしめんと欲す。時にこの無垢妙光婆羅門、座より起て佛の所に往き、佛を遶ること七匝して、衆の香花を以て世尊に奉獻し、無價の妙衣瓔珞珠鬘を持して佛上に覆ひ、佛の足を頂禮して却きて一面に住し、請をじて言く、唯だ願くは世尊、諸大衆と與に明日の晨朝に我宅中に至りて我供養をうけ玉へ、と。
爾時世尊默然として之を許したまふ。(初めて仏法に入る)
時に婆羅門、佛の請を受け玉ふことを知て速やかに家に還て、夜中において廣く餚膳の百味の飮食を辦へ、家内を掃治し水を灌ぎ幡を懸け、天蓋を釣り、夜且(あく)ると即ち諸眷屬と共に佛の所に至て白して言さく、時至れり。願くは世尊我宅に降臨したまへ、と。尒時に世尊軟かなる語をもって婆羅門を安慰して、遍く大衆に告げ玉はく、汝等皆彼の婆羅門が家に往て供養を受くべし。彼等をして大利を獲せしめんが為の故なりと。
尒時に世尊、即ち座より起ち玉ひ已って佛身より色色種種の光明を放ちて、妙なる色、間錯(まじはりまがひ)十方世界を照觸し、一切衆生を驚かし覚さしめて道に趣き玉ふ(誓心決定するが故に魔宮震動す)。時に無垢妙光婆羅門恭敬の心を以て妙香花を擎げ持ちて、諸の眷屬及び天龍八部帝釈梵天四天王と共に先に立行きて道を治ひ如來の御道引し奉る。尒時に世尊、路に前(すすみ)玉ふに程なく中途に、一の園に至り玉ふ。豐財園(金剛宝蔵の在處)と名く。其の園の中において古き朽ちたる塔あり(一切衆生の本覚の仏性)。摧け壞れ崩れ倒れて荊棘庭を掩ひ、蔦草戸を封じ瓦礫に埋もれ隠れて土塊の堆るが如し(無明煩悩に纏縛せらる)。
尒時に世尊、逕に塔の所に徑き玉ふ(本覚内に薫じ佛光外に射す)。時に塔の上より大光明を放て照輝すること熾盛にして、朽塔の中より妙なる聲を出して、讃て言く、善哉善哉、釋迦牟尼如來、今日の所行極善の境界なり。又汝婆羅門、汝今日、大善利を獲たり(初めて三昧耶戒を受く)。尒時に世尊、彼の朽ちたる塔を禮し右に遶り玉ふこと三匝して(初発心を禮す)、身の上衣(七条の袈裟・僧が聴講・礼仏などに際して着用する)を脱して塔の上に覆ひ(仏子となるがゆへに)、はらはらと涙をながし玉ふに、涙と血と交じり零(衆生の自秘を悲しむ)。泣已って復、莞尒として微笑玉ふ(入壇灌頂発心修行を喜び玉ふ)。尒時に當って、十方法界の諸佛、皆同じく遥かに觀て皆同じく涙を流し、放ち玉ふところの光明來って是の朽ちたる塔を照らす(十方の諸仏皆悉く証智し玉ふ)。時に大衆、驚き騒ぎて色を變じ互に疑を決せんと欲す。
尒時に、金剛手菩薩等も亦皆な流を涙し玉ひ、即ち威焔熾盛にして五股杵を旋轉し佛の所に往詣して自ら言く、世尊、此れ何の因縁あってか是の光相を現ずる、何ぞ如來の眼より涙を流し玉ふこと頻なる。亦彼十方世界の諸仏の大瑞の光相現前せる。唯願くは如來、此の大衆の為に我が疑を解釋し玉へ、と(到於實際の人亦悟の相を現ず)。時に薄伽梵、金剛手菩薩に告玉はく、此れ大全身舍利の積聚せるの如來の寶塔なり(本有の心塔)。一切如來の無量倶胝の心陀羅尼密印法要今其の中にあり(心塔の具徳)。金剛手、汝よく聴け、此の法要是の中に在るが故に。是即ち變じて重畳として隙なき胡麻の子の如く微細にして遍満し数多き倶胝百千の如來の身となる。當に知るべし亦是胡麻子の如くなる百千倶胝の如來の全身舍利の聚りなり。乃至八萬四千の妙法蘊も亦其中にあり。九十九百千倶胝の如來の頂相も其中に在り。是の妙事に由って是塔の在處には大神験殊勝の威徳あって能く一切世間の吉慶を滿ず、と。
尒時に大衆、佛の寶印塔の功徳を説き玉ふを聞き、遠塵離垢して諸の煩悩を断じ法眼淨を得たり(本有の心塔を覚知する得益)。時の衆の機果異なれば利益も亦別なり。初果二果三果四果を得たる者もあり。縁覚の果菩薩の果を得たる人もあり。不退轉地を證得し、一切智智を得たる人もあり。是の如くの事に於いて各其一を得たり。或は復、初地二地乃至十地を證得し或は六波羅蜜を満足せる菩薩もあり(微塵の菩薩の増道損生)。
其の婆羅門は無垢妙光は遠塵離垢して五神通を得たり(本有の五智に通達す)。
時に金剛手菩薩、此の希有の事を見て佛に白して言さく、世尊妙なるかな奇なるかな。但しこの寶印塔の事を聞すら尚右の如くの功徳利益を獲。況んや深理を聞きて至心に信心を起し陀羅尼を誦せば幾何の功徳をか得べきや。(已下修生の塔婆の功徳を説く)
佛の言く、金剛手、汝諦に聴け、後世に若信心の男子女人及比丘比丘尼等あって発心して此の一の經典を書寫せば即ち九十九百千万倶胝の如來の所説の一切の經典を書寫する功徳と同じ。即ち彼の九十九百千万倶胝の如來の前にして久しく善根を植うるにも過たり。
即ち亦彼の諸の一切如来、其の人を加持し護念し玉ふこと眼を愛すが如く、慈母の幼子を愛護するが如くし玉ふなり。若し人、此の一巻の經を読誦すれば過去現在未来の諸仏所説の一切の経典を読誦するになる。是故に九十九百千万倶胝の一切如來、應正等覚、影向し玉ひ虚空に満塞り隙なきこと胡麻の如く重畳赴き来り昼夜に其人を加持し玉ふ。是の如の一切如来無数恒沙なり。前の聚未だ去り玉はざる群重り来り須臾に推遷り廻り轉じて更に赴玉ふ。譬ば細なる沙の水に流れて旋くこと急にして停り滞ることなく、廻り去り復来るが如し。若し人あって香華塗香華鬘衣服微妙の厳具を以て此經を供養せば即ち彼の十方の九十九百千万倶胝の如來の前に於いて天の華香瓔珞衣服厳具の七寶の所成なるを積こと須弥山の如くして盡く以て供養し奉るになる。善根を植ることも亦復是の如し。爾時、天・龍・八部・人非人等、是の説を聞已て各希有奇特の思をなし、互相に謂って言く、奇なるかな威徳、是の朽ちたる土聚すら如來の神力に加持せらるるが故に是の如きの神變有り、と。
時に金剛手、復佛に白して言さく、世尊、何の因縁の故にか是の七寶塔現じて土聚となるや、と。佛、金剛手に告玉く、此土聚には非ず、乃是れ殊妙の七寶塔なれども諸の衆生の業果劣なるに由が故に隠蔽て現ぜざるのみ。寶塔の形隠れたればとて如來の全身舎利毀れ壞すべきにあらず。豈如来の金剛藏の身、而も壊すべきことあらんや(正しく衆生秘密を示す)。
若し我滅度の後後の五百歳末法逼迫の時に衆生有りて非法を習行して地獄に堕すべし。三宝を信ぜず善根を植ず。是の因縁の故に仏法當に隠没すべし。其時にも是の宝塔は一切如来の神力に護持せらるるが故に堅固にして滅せざるべし。無智の衆生は惑障に覆蔽れて徒に珍宝を朽れて採用ることをしらず。是故に我今涙を流し玉ふなり。
復次に佛金剛手に告て言く、若し衆生有て此經を書寫し塔の中に安置せば是塔即一切如来の金剛蔵の窣都婆となる。亦一切如来の陀羅尼心秘密加持の窣都婆と爲る。即ち九
十九百千倶胝如胡麻如來窣堵波と爲る。亦た一切如來の佛頂佛眼窣堵波となる。即ち一切如來の神力に護持せらる。若し佛像の中、窣堵波の中に此經を安置せば其像及び塔、設ひ石にても土にても木にてもあれ即変じて七寶の所成となって霊験心に應じて願として滿ぜざることなからむ。其の窣都婆の傘蓋・羅網・輪塔・露盤・徳宇・鈴鐸・楹礎・基階、力の辨ずる所に随て或は土、或は木、若しは石、若しは甎なりとも經陀羅尼の威力に由て自ら七寶となるべし。一切如來、此の経典によりて威力を加ふ。誠實の言を以て不断に加持し玉ふ。若し有情ありて能く此塔に於いて一香一華を以て禮拝し供養せば八十億劫の間に積る所の重罪業を一時に消滅して現世には災殃を免れ死しては佛家に生ぜん。若し悪人の阿鼻地獄に墮すべきものあらんに、若此塔に於いて一たび禮拜し、或は一たび右に遶らば、地獄の門を塞ぎ菩提の路を開べし(滅罪生善の徳)。
塔及び此の經を納ん形像の所在處はは一切如來の神力を以て護持したまふが故に其の處は
暴き風雷電霹靂の難なく、毒蛇蚖蝮毒蟲毒獸の為に傷られず。獅子狂象虎狼野干蜂蠆(ぶだい)の為に悩され害せられず。亦夜叉・羅刹・部多那・毘舍遮・魑魅魍魎・癲癇の鬼の為に悩されず。亦復、一切の寒熱の諸病・癧瘺(りゃくろ)・癰疣・疥癩等の悪病を患むものも無るべし。若し人、暫くなりとも是塔を拝せば一切の災難を免るべし。此塔在處には人馬・六畜・童子童女の疫癘の患もなく横死非命の中夭もなく、刀杖水火の為に傷れず。盗賊怨讐の為に侵れず、飢饉貧乏の憂もなく、厭魅呪詛も便をうることなからん(上の四節は息災の益)。四大天王、諸の眷屬と晝夜に衞護。二十八部の大藥叉將日月五星憧雲篲星も晝夜に護持し、一切の龍王、時に順じて甘雨を降らし五穀の精気をして増長せしむ(増益の利)。一切の諸天は忉利天と共に三時に來下して此の塔を供養し一切の諸仙も三時に來集して讃詠し旋遶し礼拝し瞻仰す。帝釈天も諸天女と共に晝夜の三時に來下して供養す。
其の處は即ち一切如來の為に護念し加持せらる。經を納むるに由る塔も像も是の威徳あり(上の三節は佛天の擁護を明す)。
若人ありて土石木金銀赤銅などを以て塔を作り、此の陀羅尼を書してその中に安置せば其塔即ち変じて七寶の所成となる。上下の階級・露槃・傘蓋・鈴鐸・輪とうまでも純ら七寶となるべし。其塔の四方は如來の形相なり。神呪法要を納むるに由るが故に一切如来堅住して護持し晝夜に離去玉はず。其の寶塔は大全身舍利藏の妙寶蔵なり。陀羅尼の威力を以て擢竦(ぬきんでそばだち)て高きこと阿迦尼吒天宮(色界の最上位・色究竟天のこと)の中に至るに塔の串峙つところの一切の諸天晝夜に瞻仰し守衛し供養す。
金剛手の言く、唯願くは如來、我等を哀愍して是の陀羅尼を説き玉へ、と。
佛の言さく、諦に聽思念して忘ることなかれ現在未来の一切如來の分身の光儀、過去の諸仏の全身の舍利、皆寶篋陀羅尼の中にあり、是の諸の如來の所有の三身も亦た是の中に在す。
尒時に世尊即ち陀羅尼を説きて曰く、
「のうまく しっちりや じびきゃなん さらば たたぎゃたなん おん ぼびばんばだばり ばしゃり ばしゃたい そろ そろ だらだら さらばたたぎゃた だどだり はんどま ばんばち じゃやばり ぼだり さんまら たたぎゃた たらましゃきゃら はらばりたなう ばざら ぼうじまんだ りょうぎゃらりょうぎりてい さらばたたぎゃた じしゅちてい ぼうだやぼうだや ぼうじぼうじ ぼうじゃぼうじゃ さんぼうだに さんぼうだや しゃらしゃらしゃらんと さらばばだに さらばはんだびぎゃてい ころころ さらばしゅきゃびぎゃてい さるばたたぎゃた きりだや ばざらに さんばらさんばら さらばたたぎゃた ぐきや だらんじ ぼじり ぼでいそぼでい さらばたたぎゃた じしゅちた だどぎゃらべい そわか さんまやじしゅちてい そわか さらばたたぎゃた きりだや だどぼだり そわか そはらちしゅちたさとべい
たたぎゃたじしゅちてい ころころ うんうん そわか おん さらばたたぎゃた うしゅにしゃ だどぼだらに さらばたたぎゃたんさだと びぼしたじしゅちてい うんうん そわか(以上梵字)
尒時に佛、是神呪を説き玉へば、諸仏如来土聚の中より聲を出して讃じて言く、
善哉善哉、釈迦世尊、五濁悪世に出て無依無怙の衆生の為に深法を演説し玉ふ、是の法要は久しく世間に住して衆生を利益し、安隱快楽ならしむること廣大無邊ならん、と。
時に佛、金剛手に告玉はく、諦に聽、諦に聽、是の法要は神力無窮にして利益無邊なること譬ば憧の上の如意宝珠の常に珍宝を雨らして一切の願を満するが如し(當體譬喩なり)。
我今略して萬分が一を説く。汝宜しく憶持して一切を利益すべし。若し悪人あって死して地獄に堕ちて苦を受くること間なく、免脱に期なからん、其の子孫あって凶者の名を唱へて此陀羅尼を誦すること纔に七邊に至らば洋銅熱鐵は忽然に變じて八功徳の池となり蓮華生じて足を承、寶蓋頂上に覆ひ地獄の門破れ菩提の道開く。其の蓮華即飛て極楽世界の上品上生に往生し一切智種自然に顕発し楽説窮なく補處の菩薩の位に至るべし(追福回向は真言教独り勝れたるの本説)。復衆生有て過去の重罪報の故に百病身に集り苦痛心を逼んに、此神呪二十一邊を誦せば百病万悩一時に消滅し壽命延長して福徳無盡ならん(息災の益)
若し復人有て慳貪業の故に貧窮の家に生れて衣身を隠ず、食も命を続ずて、瘦衰蔽て諸人に悪み賤められんも、是人深く過去の業を悔み慚愧て深山に入り主のなき山の華を折採り若しは朽木を抹にして焼香とし、此の塔の前に来て禮拝し供養し遶ること七匝して涙を流して懺悔せば陀羅尼の神力及び塔の威徳に依て貧窮の報を滅して富貴忽に至り七寶雨の如く降涌て万事の乏ことなからん。但し此時には彌三寶を供養し貧人に施し與よ。若し悋み蓄ふる心あらば財寶忽に滅すべし(寶珠の功能増益の法成就)。若し復人有て善根を植んが為に分に随て塔を造るに、或は泥、或は甎、力の辨ずるに任せて大さ菴羅の如く高さ二三寸ばかりにもせよ神呪を書寫して其中に安置して香華燈飲を供養し禮拝恭敬せば、其呪力と及び信心とを以ての故に小塔の中より大香雲香気雲の光を出して法界に周邊し薫馥し晃輝して廣く佛事を作す。所有の功徳上の所説の如し。要を取て言ば願として滿ぜずと云ことなからん(一切の願皆満足す)。若し末世の四軰の弟子善男善女有て無上菩提の為に力を盡して塔を造り神呪を安置せば、所得の功徳は説くとも盡すべからず。若人福を求めて其塔の所に至て一華一香を以て供養し禮拝し右に旋て行道せば是の功徳に由て官位榮輝も求めざるに自ら至り、壽命富饒祈らざるに自ら増長し怨家盗賊は討さるに自ら亡び、怨念呪詛攘ざれども自ら避く。善夫良婦求めざるに自ら得、賢男美女樂はざるに自ら生じて一切の所願意に任せて満足すべし(四種の法皆成就す)。若烏雀鵄梟
鳩鴿・鵂鶹・狗・狼・野干・蚊・虻・蟻・螻の類有て暫く塔の影に来り及び場の艸を踏ば、惑障を摧破し無明を覚悟して忽に佛家に入り、恣に法財を領ぜん。
況や人として或は塔の形を見、或は鐸の聲を聞、或は其名を聞、或は其影に當ることあらば、罪障悉く滅して所求意の如く、現世には安穏にして後世には極楽浄土に往生すべし。或は人あってか力に随て一丸の泥を以て塔の壊たる壁を塗、一拳ほどの石を以て塔の磶の傾けるを扶ば此の功徳に由りて福を増、壽を延べて命終の後には転輪王に生るべし(已上の三節は結縁の利益)。
尒時に佛、金剛薩埵に告げて言く、今此秘密神呪の經典を汝等に付嘱す、尊重し護持して世間に流布し衆生をして傳受して断絶せしむることなかれ、と(已下は付嘱流通分なり)。金剛薩埵の言く、我今幸に世尊の付嘱を蒙る。唯願は我等世尊の深重の恩徳を報じ奉らんが為に晝夜に護持して一切の世間に流布し、宣揚せん。若衆生あって此經を書寫し受持して断ぜしめんには、我等帝釈梵天四天王龍神八部を指麾して晝夜に其人を守護して暫くも捨離れじ、と。佛の言く、善かな金剛手、汝大に未来世の一切衆生を利益せんが為の故に此法を護持して断絶せざらしむ、と。
尒時に世尊、此の寶篋印陀羅尼を説きて廣く佛事を作竟って、然後に彼の婆羅門が家に往き、諸供養を受け、時の人天をして大福利を獲せしめ竟って、本の住處に還り玉ふ。尒時に大衆の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・薬叉・彦達嚩・阿蘇羅・孽嚕拏・緊那羅・摩睺羅誐・人非人等、皆大に歡喜して信受し奉行したてまつりき。
第二に略して題號の秘趣を釈すと者
一切如来心秘密全身舎利寶篋印陀羅尼經
釈して曰く梵語には「さ梵字」薩「らば梵字」婆、唐には一切と翻ず。華厳音義に曰く、説文に云く、一切は普なり、普は遍具の義なり、故に切の字は十に従ふべし。説文に云く、十は謂く数の具れるなり、切の字七に従ふは俗字なりと。然れば一は百千が母にして数の始め。切は遍具の故に数の滿せるなり。故に一切とは毘盧遮那遍一切處万徳圓滿の義なり。次に字義に約して秘釈せば「さ梵字」は諦の義なり。四諦三諦二諦一實諦、皆此中にあり。諦は實にして謬りなき義なり。夫れ因縁生の法は亦空亦假亦中の故に三諦なり。一切の法三諦の外に出ることなければ一切と云。法華経所説の不思議の三諦は境智一如にして妙にして思ひがたければ、一實相の妙法と云。又「さ梵字」は妙の義なり。文殊問經に曰く、「さ梵字」を唱る時は一切智を現證する聲を出すと是なり。又「さ梵字」は妙の故に中道なり。「ら梵字」は塵垢の故に因縁所生の法假なり。「ば梵字」は言説不可思議の故に空なり。又「さ梵字」の中に「あ梵字」の聲あるが故に悉曇家にあとさと音通ずることあり。和語にも雨をさめと云。村雨小雨と云はあさ相通なり。三諦一實は「あ梵字」本不生の理なり。大日経の疏に本不生を覚るは即ち是佛なりと云。一切如来は三諦一實の本不生際を覚り玉ふが故に。又諦理は一道真如なり。維摩経に曰く、衆生の如と弥勒の如と仏の如と一如にして二如なし、と。故に我等も亦一切如来なり。理趣経には一切衆生を一切如来と云へり。如如は六大真如なり。一切とは遍具の故に字義と句義と梵漢同一義なり。又「さ梵字」は中道法身舎利なり。涅槃経に曰く、「さ梵字」と者、諸の衆生の為に正法を演説して心をして歓喜せしむと。正法とは一實相の妙法縁起法身の偈及び陀羅尼等なり。次に「ら梵字」は三種悉地の儀軌に曰く「ら」字は應化身の如来なりと。應身の人間の塵垢に應同する砕身の舎利なり。次に「ば」は離言の果海の故に。報身の智、全身舎利なり。然れば「さらば」の二字に一切如来の三身舎利及び經中所説の妙義乃至一代の聖教十方法界の一切如来の所説の妙法も悉く含蔵せり。是遍具の義なり。次に如来と者、梵語には「たやた」。此には如来とも如去とも如知解とも如説とも翻ず。金剛般若経に無所従来亦無所去故名如来と説るは法身如来なり。轉法輪論に第一義諦を如と名く、正覚を来と名く、と云るは報身の如来なり。成實論に如實の道に乗じて来て正覚を成ずと云は應身の如来なり。総じて十方三世の三身の佛を一切如来と云なり。但し是は顕教の意なり。秘密の義を釈せば大日経の疏に曰く、「たら」は是如の義、「ぎゃた」は是来の義、知解の義、説の義、去の義なり。諸佛の如実の道に乗じて来て正覚を成じ玉ふが如く、今の佛(大日)も亦是の如く来り玉ふ。故に如来と名く。一切の諸佛法の實相の如く知解し知り已て亦諸法の実相の如く衆生の為に説き玉ふ。今の佛も亦是の如し。故に如実知者と名く。亦は如実説者と名く。一切の諸佛は是の如く安楽の性を得て直に涅槃の中に至れり。今の佛も亦是の如く去玉ふ。故に如去と名く。智度論には具に四義を含せり。然るを古訳には多く如来と云。有部の戒本には如去と云。善無畏三蔵は如去如説を存ずといへども且く古に順じて如来と云と。又理趣釈経に云く五智の佛を一切如来と名く。一切の諸法を聚めて共じて佛の身を成ずる故に。此の五佛は諸佛の本體諸法の根源なるが故に一切如来と云なりと。五佛は大日一佛に摂するが故に又大日尊をも一切如来と云なり。又五佛は五大五智六大の體性の故に一切の有情非情をも一切如来と云なり。又秘釈せば「た」は如如なり、「た」は住處なり。傍の点は寂静の「あ」字なり。「ぎゃ」は行なり。来なり。去なり。「た」も亦如如なり。如は異らざるの義なり。謂く此の法は彼の法の如く、彼の法は此法の如く、佛は凡夫の如く、凡夫は佛の如く、地獄は浄土の如く、浄土は地獄の如く、多く一多の如なり。多の故に如如なり。理理無数智智無邊なり。恒沙も譬にあらず、利塵も猶少し。雨足多しといへども、並に是一水なり。燈火一にあらざれども冥然として同體なるを真如と名く。一切如来は六大真如の理無住所涅槃(大寂静の「あー」字)に住し玉へども、度生の為の故に生死に入り来たり(ぎゃ)、又衆生の為に如義語を以て如如の法を説て如の耳に如を聴しめ、如の生死を不去にして去り、無住所涅槃の秘密蔵の中に安處せしめ玉ふが故に如来と名く。又「た」は法身なり。「た」は報身なり。「ぎゃ」は應身なり。又如は真身なり。来は應身なり。又如は大日の三身なり。來は釈迦の三身なり。高祖の曰く、大日の三身、釈迦の三身、各々不同なり。當に此を知べし、と。是意なり。心とは梵語には「きりだや」、此には真実心とも堅実心とも翻ず(大疏十七)。心に多種あり。安然の菩提心義の中に委悉辨ぜり。今の心は中子と訓ず。八分の肉團心なり。即ち心蓮華第九識なり。是より光明を発するを「しったしん」と云。圓明の月輪即ち第八識なり。此蓮月、不二の一気を「あ」字等の諸字門とす。即ち陀羅尼の文字なり。慮知分別の心、前七識なり。又秘釈せば「か」字は因の義、菩提心為因なり。又因業不可得の義なれば因果一如生佛不二、法尒應住普賢大菩提心を真実心と名く。「り」は類例不可得の義なり。心の字、外書にも万類を総包するを心と名くと云が故に、万法の総体なれば類例すべき物なきが故に類例不可得の「り」字を加ふるなり。「か」字は施與不可得の義なり。施は捨るなり。捨ることなければ取ることもなし。一切の万法自心の異名なれば取るべき法もなく、捨つべき法もなし。大日經に曰く、云何菩提とならば謂く實の如く自心を知るなり、心は内にあらず外にあらず。及び雨中間にも不可得なり、乃至青黄赤白にあらず、長短方円にあらず、男女不男女にあらず、三界六趣と同性にあらず、眼耳鼻舌身意界に住せず。見にあらず顕現にあらず。何を以ての故に虚空相の心は諸の分別と無分別とを離れたり。所以者何となれば性虚空に同なれば即ち心に同なり。性心同なれば即ち菩提に同なり。虚空界と菩提との三種は無二なり。同き疏に云く、如来應正等覚(自心佛)は一定の相として得べきことあることなく、又上の諸相をも離れずぞ。即是一切如来の心と。我が心と一切衆生の心と一體無二なり。十住心論に曰く、若し能く明に密號名字を察し深く荘厳秘蔵を開時は地獄も天堂も佛性も闡提も、煩悩も菩提も、生死も涅槃も、邊邪も中正も、空有も偏圓も、二乗も一乗も、皆是自心佛の名号なり。焉をか捨て、焉をか取んと。是「だ」字の實義なり。「や」は乗不可得なり。一切衆生本より成仏して佛と衆生と同じく解脱の床に住し、無二平等にして周園衆圓なり。能成の人も周圓周圓なり。能乗の人もなく、所乗の法もなく、所到の處もなし。故に乗不可得と云。此理に住するは佛心なり。次に秘密とは梵語には「ろくきゃ」。此には秘密と翻ず。秘は秘奥の義。密は隠密の義なり。高祖の二教論に曰く、秘密に二義あり。一には衆生秘密。謂く一切如来は無明妄想を以て本性の真覚を覆蔵するが故に、衆生自秘と名く、と。所以は何ん。一切衆生の色身の實相は六大法界の體に御来具足して大日如来と同體なり。故に蓮華三昧經に曰く、帰命本覚心法身、常住妙法心蓮臺、本来具足三身徳、三十七尊住心城、と。菩提論に曰く、一切衆生は本有の薩埵なり、と。華厳経に曰く、三界の所有は唯是一心なり、心と佛と及び衆生と是三は差別なし、と。大日経の疏に曰く、衆生の自心品は即是一切智智なり、と。又曰く、謂く自心は本よりこのかた不生なりと覚ぬれば即是成仏なり、而も實には覚もなく成もなし、と。又曰く、一切衆生の色身の實相は本際よりこのかた常に是毘盧遮那の平等智身なり。是菩提を得時、強て諸法を空じて法界と成さしむるにはあらず、と。今此等の文の意を尋ぬるに我等が所具の胸中の八辨の肉團心蓮華は地水火風空識の六大の體性なり。此の前五大を胎蔵の五佛と名け、第六識を金剛界の五佛と名く。一切如来心秘密とは是を云なり。此五大五智法界に周邊して世界とも衆生とも地獄とも天堂とも畜生とも餓鬼とも佛とも菩薩とも二乗とも一乗とも仏性とも闡提とも成り、占察經に心生ずれば種々の法生ず、と説き、華厳経に一切唯心造、と説るは是なり。今心の本源を悟る時は十方三世法界の有情非情善悪邪正皆自心の名字にして一念一時一切時、一即一切、一切即一にして一處三切處を見、一切處に一處を見、又一處一切處をも見ず。一念一切念をも念ぜず、十方の浄土は自己の脚跟下にあり。諸佛の三大阿僧祇劫の修行は皆我行なり。我行は一切衆生の行なり。一切衆生の行は又我行なり。証知すること善財童子の弥勒の教に依て毘盧遮那荘厳蔵楼閣の中に入りて無量の諸の陀羅尼を証得せるが如し。菩提心論に曰く、凡人の心は合蓮華の如く、佛心は満月の如し。此観若し成ずれば十方国土の若しは浄、若しは穢、六道の含識、三乗の行位、及び三世の諸佛、悉く中に於て現じ本尊の身を証じて普賢の一切の行願を満足す。故に大日經に曰く、如是真実心は故佛の宣説し玉ふところなり、と。此真実心とは蓮華月輪「あ」字の三なり。此の三を三密三身三部三点三因佛性三徳秘蔵と云。三即一、一即三、前ならず後ならず、縦ならず横ならず、邊法界無所不至なり。此を観ずるを三摩地の法と名け、即身成仏の法と名く。「あ」字観と名く。大日経に曰く、「阿」字と者一切の真言の心なり。此より邊く無量の諸の真言を流出す、と。然れば一切如来心秘密全身舎利寶篋印陀羅尼と云は、此の阿字より流出するなり。大日経の疏に曰く、阿字門一切諸法本不生と者、凡そ三界の語言は皆物に名けるが故なり。名あるは文字あればなり。故に悉曇の阿字も亦衆の文字の母とす。又當に知るべし、阿字門真実の義も亦復是の如し。一切の衆縁より生ぜざる者は一もなし。縁より生ずる者は始めあり、本あり。今此の能く生ずる物の縁を推窮むるに、亦復衆因縁より生ず。展轉して縁に従ふ。誰か其の本とせんや。是の如く観察する時に則ち本不生際を知る。是万法の本なり。猶一切の語言を聞時、即是阿字の聲を聞が如く、一切の法の生を見る時、即本不生際を見るなり。若し本不生際を見る者は是實の如く自心を知るなり。實の如く自心を知るは即是一切智智なり。故に毘盧遮那は唯し此の一字を以て真言となし玉ふ。而も世間の凡夫は諸法の本源を観ぜぜざるが故に妄に生ありと見る。所以に生死の流に随て自ら出ることあたはざること、彼の無智の画師の自ら五色の絵の具を以て可畏夜叉を生じ肝を潰し地に頓躄て絶入するが如し。衆生も亦復是の如し。自心は六大法界體毘盧遮那の果徳に住しながら覚らず知らず本有の五智五大五形五味五色の彩色を以て三界六道の可畏夜叉の形を描き出し還って自らそ中に没して自心の佛徳を謬て熾然たる地獄の火となして、備に諸苦を受く。悲いかな悲いかな、大日如来は智慧かしこき画師なれば、既に明かに了知し了て、即ち能く五大五智五形五色を以て自在に大悲胎蔵金剛界大漫挐欏を画作し成立して自ら法楽を受け能く衆生を済度し玉ふ。此の大悲胎蔵曼荼羅は自己胸中の「かりだ」心、八葉の蓮華なり、八葉九尊九識五智四重圓壇の徳相歴歴として具足せり。金剛界大漫挐欏は即ち「しった」心圓明の満月なり。十六分の明あって五解脱輪十六大菩薩三十七尊の徳相了了分別なり。無障礙經の三十七尊住心城とは是なり。大日経に曰く、身分の挙動住止は知べし、皆是密印なり。舌相所轉の衆多の言説は知べし、皆是真言なりと。悲いかな々、我等自心の佛なることを知ず日夜に悪業を作って永く地獄に堕ることを。是に由て言は、甚深秘蔵と者衆生自ら秘するのみ。佛の隠密し玉ふにはあらずと。今の経文無智の衆生は惑障に覆蔽れて徒らに珍宝を朽して、採用ゆることをしらずとて、佛血の涙を流し玉ふも、是の意なり。又法華の長者窮子の喩、涅槃経の貧女の家の伏蔵の喩も亦此意なり。(寶筐印陀羅尼和解秘略釈巻上終)