福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日25日は上野公園内清水観音堂で14時より人形供養が行われます

2018-09-25 | おすすめ情報
今日25日は上野公園内清水観音堂で14時より人形供養が行われます。
清水観音堂は、寛永8(1631)年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正(1536~1643)によって京都の清水寺に見立てて建立されています。国指定重要文化財です。 御本尊は大変な霊験を現された観音様です。以下、清水寺のホームページ等に依ります。「京都清水寺からご遷座された秘仏ご本尊・千手観世音菩薩は、平安時代の比叡山の高僧・恵心僧都の作と伝えられています。秘仏ご本尊には合掌したお手・禅定印を結ぶお手の他に小さなお手が40本あり、それぞれの小さなお手が、仏教で考えるあらゆる世界の生きとし生けるもののすべてに、慈悲の手をさしのべるお姿を表しています。
秘仏ご本尊には『平家物語』に述べられる、主馬判官平盛久(たいらのもりひさ)の伝説があります。盛久は千手観音を清水寺に奉納し、千日参詣の祈願を続けていました。しかし源平の合戦で敗れた盛久は、鎌倉由比ヶ浜で斬首されそうになります。その際に二回刀が折れました。驚いた源頼朝は直ちに盛久を許し本領を返した上に越前国池田庄まで所領としたのです。京都に戻った盛久が清水寺に参詣すると、盛久が斬首されそうになった文治元年六月廿八日午の刻に清水寺の観音様も、俄に倒れおはしまして御手二つに折れたと良観和尚から報告されています。
この奇瑞が午の年・午の日・午の刻に起きたことから、ご開帳は年に1日、2月の「初午(はつうま)法楽」の日に行う縁起となっているのです。
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長門本平家物語第二十巻の関連部分です『主馬入道盛国が末子に主馬八郎左衛門盛久、京都に隠れ居けるが年来の宿願にて等身の千手観音を造立し奉りて、清水寺の本尊の右わきに居奉りけり、盛久ふるにも照にもはだしにて清水寺へ千日毎日参詣すべき心ざし深くしてあゆみをはこび年月を経るに人是を知らず平家の侍打もらされたる越中次郎兵衛盛次、悪七兵衛景清、主馬八郎左衛門盛久、是等は宗徒のもの共なり、尋出すべき由、兵衛佐殿(頼朝)、北条四郎時政に被仰含けり、主馬八郎左衛門盛久は京都に隠れ居たる由聞えけれど、北条京中を尋もとめけれども更に尋得ず、ある時下女来りて、誠にや主馬八郎左衛門を御尋さふらふなるか、かの人は清水寺へ夜ごとに詣給ふなりとぞ申ける、北条悦て、「いか成ありさまにて詣ずるぞ」ととふ、
「白直垂き給て、ものもはき給はず、はだしにて詣づる人にて候なり」と申ければ、清水寺辺に人を置き、うかがひ見するに、ある時、白直垂のしほれたるに、はだしにて盛久詣けるを召捕て兵衛佐殿(頼朝)へ奉る、盛久「まだしらぬ東路に千行の泪を拭ひ、暁月に袂をうるほして我清水寺の霊場に千日参詣の志を運、多年本尊に祈奉る、信心の真をこらしつるに、日詣むなしく成ぬ、あはれ西国の戦場に軍破れて人々海に入給ひし時、同じく底の水屑とも成たりせば、今日かかるうきめにはあはじものを」と、おもはぬ事もなく思ひつづけて歎き暮し、あしたの露に命をかけ日数も漸く重れば鎌倉にも下着しぬ

梶原平三景時、兵衛佐殿の仰をうけて・・・はやく斬刑に従ふべしとて土屋三郎宗遠に仰て首を刎らるべしとて、文治二年六月廿八日に盛久を由井が浜に引すへて、盛久西に向て念仏十遍計申けるが、いかが思ひけん、みなみに向て又念仏二三十遍計申けるを宗遠太刀をぬき頸をうつ、その太刀中より打をりぬ、又打太刀も目ぬきよりをれにけり。不思議の思ひをなすに富士のすそより光り二すぢ盛久が身に差あてたりとぞ見えける。宗遠使者を立て、此由を兵衛佐殿に申す、また兵衛佐殿の室家(北条政子)の夢に、すみ染の衣きたる老僧一人出来て「盛久斬首の罪にあてられ候が、まげて宥め候べき」よし申す、室家夢の中に誰人にておはするぞ、僧申けるは「我清水辺に候小僧なり」と申すとおほじて夢覚て、兵衛佐殿に、かかる不思議の夢をこそ見たれと宣ひければ、さる事候、平家の侍に主馬入道盛国が子に主馬八郎左衛門盛久と申者、京都に隠れて候つるを尋取りて、只今宗遠に仰て由井が浜にて首をはねよとて遣て候、此事清水寺の観音の盛久が身にかからせ給たりけるにや首をはね候なるに一番の太刀は中より三に折れて、また次のたちは目ぬきより折て、盛久が頸はきれず候よし申て候とて盛久を召返されたり、

兵衛佐殿、信伏の首をかたぶけ手を洗ひ口をすすぎ御直垂めして盛久に抑、「いかなる宿願ありて清水寺へは参り給けるぞ、奇特瑞相をあらはす不審なり」と仰らるに「殊なる宿願候はず。等身の千手観音を造立し奉て清水寺の観音に並べ参らせて内陣の右の脇に立奉て千日、毎日参詣をとぐべき由、宿願候て既に八百余日参詣し今二百余日を残して召捕られ候」とぞ申ける、右兵衛佐殿、所帯はなきかと問給へば、紀伊国に候しかども君の御領に罷成て候と申す、さぞ候らんと仰られて、件の所帯は、ながく相違有べからずと安堵の御下文たびて、もとのごとく還補すべきよし仰られて是を返さるる上、龍蹄一疋に鞍置て是を給はる、北条四郎時政に仰て越前国池田の庄をもて、法住寺仙洞を造進せらるる其奉行せしむべきよし、かさねて御下文をたまはる、これは文治二年丙午六月廿八日の事なり、盛久頸をつなぐのみならず本領を返給ふうへ越前国池田庄を賜るも、これひとへに清水寺観音の御利生なり、

盛久同七月下旬のころ帰洛して宿所へは落つかず、先清水寺に参詣して本尊を拝し奉て御利生の忝につけて泪かきあへず、当寺の師匠の良観阿闍梨に、由井が浜にて頸きられんとしける事を、なくなく語り申に、良観も泪をながし去六月廿八日午の刻に御辺の安置し奉り給たりし本尊、俄に倒れおはしまして御手二つに折れぬ、一寺奇特の思ひをなしつるに、さては遼遠の道を分て信敬の人を資給つる御志、誠に上代にも超たり、新造の観音の御利益、古仏身にすぐれたりと仰がぬ貴賎上下はなかりけり。』
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また右に祀られる脇尊の仏さまが人形供養の御本尊「子育て観音」で、子授け・安産・子育ての観音さまとして多くの信仰を集めています。この観音さまに祈って子宝を授かった両親が、その無事な成長を願って奉納した身代り人形が、ご宝前に多数供えられています。この人形の供養が、こんにちではかわいがってきた人形に感謝する、人形供養となっています。」
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