史料綜覧 巻五 / 文永八年1271十一月廿二日条
「廿二日 法皇(注1)御所評定 天台座主澄覚(注2)ヲシテ 熾盛光法(注3)ヲ惣持院(注4)ニ修シ 異国降伏ヲ禱ラシム」
この頃は毎年蒙古から使者が来ていた。文永の役は文永十一年。
(注1)法皇は後嵯峨法皇、天皇は亀山天皇、執権は時宗。
(注2)後鳥羽天皇の孫、比叡山に入り、梶井門跡尊快入道親王に師事して出家し、真仙僧正から灌頂を受けた。文永2年天台座主、亀山天皇(後鳥羽天皇の曾孫)の護持僧。異国降伏の祈祷を行っている。
(注3)熾盛光法は天変地異等の時に熾盛光仏頂如来を本尊として、国家安泰を祈る修法。
(注4)惣持院は伝教大師が定めた比叡山の九院の一つ。