観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・12/27
十二、 盖護鎖を解く事。一行の事。菅丞相の事。
大唐に盖護といふ人はしばられて殺さるべき事治定するとき、三日三夜のあひだ観音を念ずればすなはち観音光を放てかの盖護をてらし玉へば鎖もとけ門も開きたるゆへに逃げたり。折節やみの夜にて道もみえざるに観音光を放ち玉ふゆへに方角を知りて廿里までにげゆく。其のとがをのがるればひかりもきえたりと。これすなはち一心称名のゆへなり。観のときは杻械枷といふは賊寶なり。鎖といふは煩悩のきずななり。されば三界の衆生をば無縄自縛といふなり。先徳の釋にいはく、眷属は柔らなる鎖に縛られて三途に置く。財宝は甘き毒に酔て正路を失ふといへり。眷属の鎖につながれ財宝の毒に酔て正路を失ふ。三途に堕すときは獄卒阿防羅刹に呵責せられて鎖を以てしばられ、杻械の責を蒙るべきなり。これ併しながら我身よりなすところの罪過なり。或人のうたに「身をしばる 人の過とはをもはねど 恨顔にもぬるるそでかな」といへり。ひとへに観音を念じたてまつればかやうの苦も遁るべきなり。
「若有財若無罪」の事、罪無くして流罪死罪の行はるる事之多し。一行阿闍梨は玄宗皇帝の命で果羅國へ流罪せられ玉へり。(宝物集「唐玄宗は楊貴妃に近付りと云疑うぃを以て一行阿闍梨を火羅國とて七日空も見へぬ所へ流し給ふ・・」平家物語・源平盛衰記などにもあり。しかし中国の書にはなし。)
日本には菅丞相は九州へ遠流せられ給へり。此等は皆無罪人なり。
「若三千大千國土滿中夜叉羅刹。欲來惱人。聞其稱觀世音菩薩名者。是諸惡鬼。尚不能以惡眼視之。況復加害。設復有人。若有罪若無罪。杻械枷鎖檢繋其身。稱觀世音菩薩名者。皆悉斷壞即得解脱。」此の文は死賊の難なり。両巻の疏に云、死賊は是重難なり。賊は本と賊を求め、死は本と命を奪ふといへり。(觀音義疏卷上「次明難即滿中怨賊滿中假設之辭也。國曠賊多聖力能救顯功之至也。怨者此難重也。賊本求財怨本奪命。今怨爲賊必財命兩圖。若過去流血名怨。現在奪財名賊。如此怨賊遍滿大千尚能護之。」)