護国
2018-09-09 | 諸経
栂尾祥雲「密教経典と護国思想」(密教文化74号)に
「仁王経にもとずく護国思想」として、「・・其の経の内容を概説すると、仏が王舎城の耆闍崛山(ぎっしゃくせん)に住せしとき波斯匿王はしのくおう等の十六大國王も来り会し、これらの国王がいずれも如何にして自らの國土を護るべきかの念あることを察し、これらの国王のために護国の根本義を説いたのが此の経である・・・それによると国土を擁護するといってもその国民が健実であり、正純でなくてはその国土を正しく栄えしむることはできないといふ見地から、此の経では内的即ち精神的主観的の護国と、外的即ち客観的護国との二つに分かち・・・この内外二護の思想は『大智度論』などにある浄佛国土の思想に負うところが多いらしい。即ち
『はじめに身口意の三業を浄めて後、仏土を浄むとなす。自身浄ければまた他人を浄む。なにをもっての故に、ただ一人のみ國土の中に生ずるものにあらず。みな共に因縁を作せばなり、内法と外法とは因縁をなして、もしは善もしは不善たり。多くの悪口業のゆえに地に荊棘を生じ諂誑曲心の故に地はすなわち高下ありて平らかならず、慳貪多きが故に則ち水旱れて調はず地に沙礫を生ず。上の諸悪をなさざるが故に、地は則ち平正にして多く珍宝を出だす』等とある思想と全くその揆をいつにするといってよいのである。・・
したがって密教思想の上からその護国の法用をあきらかにせる不空訳の『仁王護国般若波羅密多経陀羅尼念誦儀軌』や「仁王般若念誦法」においては、いずれも五大菩薩(金剛手、金剛宝、金剛利、金剛薬叉、金剛般若)を金剛界曼荼羅における五佛の正法輪身としてこれを取り扱ひ、かくて組織せられたる曼荼羅の前に座して三十六句の仁王般若陀羅尼(注)を誦持し、その義趣を味得し、体解することを枢軸としているのである。・・・かの弘法大師が淳和天皇の勅を奉じて東寺に講堂を建立したまふやこの『仁王護国般若波羅密多経陀羅尼念誦儀軌』等に基き、その壇上に諸尊を奉刻し、安置したのである。その諸尊安置の様式は壇の中央に自性輪身としての金剛界五佛(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)を、その左方には正法輪身として『仁王護国般若経』所説の五菩薩(金剛波羅蜜、金剛薩埵、金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩)を、その右方には教令輪身としての五大忿怒明王(不動明王、降三世明王,軍荼利明王,大威徳明王,金剛夜叉明王)を奉安し、その壇の四隅には四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)を、その東西には梵天・帝釈を崇祀してあるのである。」とあります。(「金剛界とは一切如来の身口意である」と言われます。)(参考東寺立体曼荼羅)
(注)仁王般若陀羅尼
「のうぼう あらたんのう たらやあや のうまくありや べいろしゃのうや たたぎゃたや あらかてい さんみゃくさん ぼだや のうまく ありや さんまんだ ばんだらや ぼうじさとばや まかさとばや まかきゃろにきゃや たにゃた じにやのうはらじへい あきしゃや くせい からちばのうばち さらば ぼだ ばらきてい ゆぎゃはり じしゅはねい げんびら どらばぎゃけい ちりや どははり じしゅはねい ぼうじしった さんじゃだに さらば びせいきゃ びしつきってい たらまさぎゃら さんぼてい あぼきゃ しらばねい まか さんまんだ ばんだら ぼうびおりゃてい びゃきゃらんだ はりはらはに さらば しっだ のうまそきりてい さらば ぼうじさとば さんじゃだに ばぎゃはち ぼだまてい あらだい きゃらだい あらだ きゃらだい まかはらじにや はらみてい そわか」
「仁王経にもとずく護国思想」として、「・・其の経の内容を概説すると、仏が王舎城の耆闍崛山(ぎっしゃくせん)に住せしとき波斯匿王はしのくおう等の十六大國王も来り会し、これらの国王がいずれも如何にして自らの國土を護るべきかの念あることを察し、これらの国王のために護国の根本義を説いたのが此の経である・・・それによると国土を擁護するといってもその国民が健実であり、正純でなくてはその国土を正しく栄えしむることはできないといふ見地から、此の経では内的即ち精神的主観的の護国と、外的即ち客観的護国との二つに分かち・・・この内外二護の思想は『大智度論』などにある浄佛国土の思想に負うところが多いらしい。即ち
『はじめに身口意の三業を浄めて後、仏土を浄むとなす。自身浄ければまた他人を浄む。なにをもっての故に、ただ一人のみ國土の中に生ずるものにあらず。みな共に因縁を作せばなり、内法と外法とは因縁をなして、もしは善もしは不善たり。多くの悪口業のゆえに地に荊棘を生じ諂誑曲心の故に地はすなわち高下ありて平らかならず、慳貪多きが故に則ち水旱れて調はず地に沙礫を生ず。上の諸悪をなさざるが故に、地は則ち平正にして多く珍宝を出だす』等とある思想と全くその揆をいつにするといってよいのである。・・
したがって密教思想の上からその護国の法用をあきらかにせる不空訳の『仁王護国般若波羅密多経陀羅尼念誦儀軌』や「仁王般若念誦法」においては、いずれも五大菩薩(金剛手、金剛宝、金剛利、金剛薬叉、金剛般若)を金剛界曼荼羅における五佛の正法輪身としてこれを取り扱ひ、かくて組織せられたる曼荼羅の前に座して三十六句の仁王般若陀羅尼(注)を誦持し、その義趣を味得し、体解することを枢軸としているのである。・・・かの弘法大師が淳和天皇の勅を奉じて東寺に講堂を建立したまふやこの『仁王護国般若波羅密多経陀羅尼念誦儀軌』等に基き、その壇上に諸尊を奉刻し、安置したのである。その諸尊安置の様式は壇の中央に自性輪身としての金剛界五佛(大日・阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就)を、その左方には正法輪身として『仁王護国般若経』所説の五菩薩(金剛波羅蜜、金剛薩埵、金剛宝菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩)を、その右方には教令輪身としての五大忿怒明王(不動明王、降三世明王,軍荼利明王,大威徳明王,金剛夜叉明王)を奉安し、その壇の四隅には四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)を、その東西には梵天・帝釈を崇祀してあるのである。」とあります。(「金剛界とは一切如来の身口意である」と言われます。)(参考東寺立体曼荼羅)
(注)仁王般若陀羅尼
「のうぼう あらたんのう たらやあや のうまくありや べいろしゃのうや たたぎゃたや あらかてい さんみゃくさん ぼだや のうまく ありや さんまんだ ばんだらや ぼうじさとばや まかさとばや まかきゃろにきゃや たにゃた じにやのうはらじへい あきしゃや くせい からちばのうばち さらば ぼだ ばらきてい ゆぎゃはり じしゅはねい げんびら どらばぎゃけい ちりや どははり じしゅはねい ぼうじしった さんじゃだに さらば びせいきゃ びしつきってい たらまさぎゃら さんぼてい あぼきゃ しらばねい まか さんまんだ ばんだら ぼうびおりゃてい びゃきゃらんだ はりはらはに さらば しっだ のうまそきりてい さらば ぼうじさとば さんじゃだに ばぎゃはち ぼだまてい あらだい きゃらだい あらだ きゃらだい まかはらじにや はらみてい そわか」