除夜の鐘が騒音という声があるというニュースが報じられていました。なんという罰当たりな考えでしょうか。まさに末世のただなかと思わせられます。
私も何年も護国寺の鐘を撞いてきましたがその功徳で40年後のいまでも病気知らずで護国寺にご縁を頂いています。
鐘の功徳を改めて書いておきます。
・お大師さま(弘法大師)は、「鐘の知識を勧め唱うる文」(性霊集)の中で「一打鐘聲、當願衆生、脱三界苦、得見菩提」と、「鐘をひとつ打つごとに、生きとし生けるものが欲界・色界・無色界のすべての苦しみから解脱し、安らかな悟りの境地を得ることを願え」と示されていいます。
・有部律には鐘を鳴らすとき、聞く時の心構えが説かれています。私も昔護国寺の鐘を朝6時に撞かせていただいていた時は高野山真別所で習った「鳴鐘偈」を唱えていました。
「鳴鐘偈」は
「洪鐘晨響覚群生 聲遍十方無量土
含識群生普門知 抜除衆生長夜苦(洪鐘晨響群生を覚す、声は十方無量土に遍く、含識群生普く聞知し、有情長夜の苦を抜除す)」
「聞晨鐘偈」は
「願此鐘聲超法界 鐵囲幽冥悉皆聞
三途離苦罷刀輪 一切衆生成正覚(願わくはこの声法界を超え、鉄囲幽冥悉くみな聞き、三塗苦を離れ刀輪を罷れ、一切衆生正覚を成ぜんことを)」です。
いずれも鐘の功徳により衆生の苦しみを救いたいとの願いです。
・増一阿含経に鐘の故事の記述があります。「もし鐘を打つときは、一切悪道の諸苦ならびに皆停止す、と(願え)。昔、安息王、人を殺すこと九億人也。その後馬鳴菩薩の説法を聞く縁により、大地獄を免れ大海中に生じて千頭の魚となる。しかるに鉄輪降り注ぎその首を切る,斬れば復生ず、須臾の間に頭また大海に満ちてその苦患無量なり。時に羅漢あり、これがために鐘を打つ。之を聴くときは苦患すこしやむ。ここにおいて王、羅漢に長く鳴らしたまえと願う。これによって長く打ちたまえば7日間を過ぎて苦患尽く息めり。この寺、彼の王に因んで次第の相承して長く鐘を打つ。今日にいたるも猶本のごとし・・」
・壬生寺縁起には「凡諸の經論の中に。鐘の功徳を説事往々に見えたり。中にも當願衆生一聽鐘聲脱三界苦得證菩提と説れば。一たび鐘聲を聞も永く菩提の因となん成侍れば。なをざりの功徳にはあらざる也・・」とあり当時の人々が鐘の声を聴く功徳を願っていたことが分かります。
・高弁上人にも「のりのこゑに ききぞわかれぬ ながき夜のねぶりをさます あか月のかね」という釈教歌(「玉葉2726」)があります。
・《俱舍論》や《佛祖統紀》には「人命將終,聞鐘聲,能生善心,增正念」とあります。
・能の「三井寺」では狂女が三井寺の鐘を撞いて子供と巡り合う場面があります。
「 「此三井寺に廻り来て。」「親子に逢ふは。」「何故ぞ。此鐘の声立てゝ物狂のあるぞとて御咎ありしゆゑなれば。常の契には。別の鐘と厭ひしに。親子のための契には。鐘故に逢ふ夜なり嬉しき。鐘の声かな。」
地「かくて伴ひ立ち帰り。かくて伴ひ立ち帰り。親子の契盡きせずも。富貴の家となりにけり。実に有難き考行の。威徳ぞめでたかりける威徳ぞ。めでたかりける。」とあります。鐘の功徳は絶大です。
・日本三名鐘とは「声の三井寺」「形の平等院」「銘の神護寺」といわれています。
私も何年も護国寺の鐘を撞いてきましたがその功徳で40年後のいまでも病気知らずで護国寺にご縁を頂いています。
鐘の功徳を改めて書いておきます。
・お大師さま(弘法大師)は、「鐘の知識を勧め唱うる文」(性霊集)の中で「一打鐘聲、當願衆生、脱三界苦、得見菩提」と、「鐘をひとつ打つごとに、生きとし生けるものが欲界・色界・無色界のすべての苦しみから解脱し、安らかな悟りの境地を得ることを願え」と示されていいます。
・有部律には鐘を鳴らすとき、聞く時の心構えが説かれています。私も昔護国寺の鐘を朝6時に撞かせていただいていた時は高野山真別所で習った「鳴鐘偈」を唱えていました。
「鳴鐘偈」は
「洪鐘晨響覚群生 聲遍十方無量土
含識群生普門知 抜除衆生長夜苦(洪鐘晨響群生を覚す、声は十方無量土に遍く、含識群生普く聞知し、有情長夜の苦を抜除す)」
「聞晨鐘偈」は
「願此鐘聲超法界 鐵囲幽冥悉皆聞
三途離苦罷刀輪 一切衆生成正覚(願わくはこの声法界を超え、鉄囲幽冥悉くみな聞き、三塗苦を離れ刀輪を罷れ、一切衆生正覚を成ぜんことを)」です。
いずれも鐘の功徳により衆生の苦しみを救いたいとの願いです。
・増一阿含経に鐘の故事の記述があります。「もし鐘を打つときは、一切悪道の諸苦ならびに皆停止す、と(願え)。昔、安息王、人を殺すこと九億人也。その後馬鳴菩薩の説法を聞く縁により、大地獄を免れ大海中に生じて千頭の魚となる。しかるに鉄輪降り注ぎその首を切る,斬れば復生ず、須臾の間に頭また大海に満ちてその苦患無量なり。時に羅漢あり、これがために鐘を打つ。之を聴くときは苦患すこしやむ。ここにおいて王、羅漢に長く鳴らしたまえと願う。これによって長く打ちたまえば7日間を過ぎて苦患尽く息めり。この寺、彼の王に因んで次第の相承して長く鐘を打つ。今日にいたるも猶本のごとし・・」
・壬生寺縁起には「凡諸の經論の中に。鐘の功徳を説事往々に見えたり。中にも當願衆生一聽鐘聲脱三界苦得證菩提と説れば。一たび鐘聲を聞も永く菩提の因となん成侍れば。なをざりの功徳にはあらざる也・・」とあり当時の人々が鐘の声を聴く功徳を願っていたことが分かります。
・高弁上人にも「のりのこゑに ききぞわかれぬ ながき夜のねぶりをさます あか月のかね」という釈教歌(「玉葉2726」)があります。
・《俱舍論》や《佛祖統紀》には「人命將終,聞鐘聲,能生善心,增正念」とあります。
・能の「三井寺」では狂女が三井寺の鐘を撞いて子供と巡り合う場面があります。
「 「此三井寺に廻り来て。」「親子に逢ふは。」「何故ぞ。此鐘の声立てゝ物狂のあるぞとて御咎ありしゆゑなれば。常の契には。別の鐘と厭ひしに。親子のための契には。鐘故に逢ふ夜なり嬉しき。鐘の声かな。」
地「かくて伴ひ立ち帰り。かくて伴ひ立ち帰り。親子の契盡きせずも。富貴の家となりにけり。実に有難き考行の。威徳ぞめでたかりける威徳ぞ。めでたかりける。」とあります。鐘の功徳は絶大です。
・日本三名鐘とは「声の三井寺」「形の平等院」「銘の神護寺」といわれています。
失礼いたします。
毎年聞くに付け、残念なニュースです。
拙寺などは山の中にありますので、好き勝手打っておりますが、都会では難しいのでしょう。本来、凡聖は、聞く者が迷いを脱することを願って突かれるものであることを思いますと、拒否する方々は、迷中又迷ということです。
https://seesaawiki.jp/w/turatura/d/%bd%fc%cc%eb