今日8月29日は弘安の役で蒙古軍が壊滅した日です。
弘安の役は 弘安4年5月21日(1281年6月16日)に蒙古軍が14万の大軍で博多に来襲したのに始まり、同年閏7月7日(8月29日)に日本軍の応戦と暴風のために壊滅しています。
興正菩薩叡尊の伝記である「金剛仏子叡尊感身学正記」の記述によると、「・・・弘安四年(1281年)辛巳(叡尊)八十一歳、七月廿二日、浄住寺に参る。行阿比丘了意房先立ち入寺す。また来謁して曰く、廿六日より異国之用害を脱する為、本朝之静謐を祈る。南北二京の持斎僧を八幡宮に発勧請し、七日七夜不断に尊勝陀羅尼の願を唱念すべし。門徒を率いて参勤すべし云々と。・・叡尊は老衰にて勤行に不堪ず。本寺において不共の行をせんと。行阿比丘了意房曰く、若し参勤難ければ一門の僧百人に共奉せしむべし云々。即ち同法を触れ、評定せしめて云う。趣して曰く、異国来征事は我朝の大事なり。何事か之に如かん。然れば今年衆僧別人と雖も、随分の祈請を致す。至誠懇切の心、発しがたし。一門の僧衆皆霊所に参じ、一味和合不断勤修せんとす。尤も所庶幾若爾者。たとえ陀羅尼満足ならずといえども、宿所に参住云々。仍領状畢。即ち同法等、飛脚をもって諸寺に相触れおのおの同心す。廿六日、三百余人八幡宮に参加、亥時に発願、陀羅尼の間、毎日十二時に供養法在り。其後、行阿了意房曰く、「廿九日、比丘布薩者は、便宜の所において、各々行ぜられるといえども、卅日梵網布薩者は大菩薩の御前にて、南北和合行事所望されるなり云々。もとより在家出家和合の布薩であるからもっともしかるべき旨返答しおわんぬ。よって廿九日、比丘布薩をし、便宜所勤行おわんぬ、卅日、梵網布薩を行ぜんとす、大雨降る故に延引、閏七月一日、南北二京僧五百六十余人、宝前に集会し、一味和合し勤行す。叡尊説戒す。説戒終んぬ。おそれながら述懐す、「即ち平城御宇御託宣をもって、戎難を訴え申す。大菩薩においては、東風をもって兵船を本国に吹送されたし。来人を損ずして、所乗之船を焼失されたし云々」。即ち久しからずして大風吹出、雷鳴声発、西にむかって去る。神諾かと存じたてまつる。三日初夜、陀羅尼結願畢りぬ。四日、奉転読最勝王経百部、仁王経百部、大般若経一部畢りぬ。夕方、院宣下され、明日より一切経転読の旨載せらる。・・九日、民部大夫政康使者をもって示して曰、異国の兵船、去一日、大風皆破損おわんぬ云々・・」
・『律苑僧宝伝』にも興正菩薩叡尊の祈祷がでています。
「南都西大寺興正菩薩傳・・・弘安二年秋七月、蒙古兵船大宰府に至る。後宇多帝上邦侵逼を慮り、すなわち百官を集め、其の事を議す。僉(せん)して曰く「佛法力によらずば伏べからず。」ここにおいて師(興正菩薩)に勅す。師勅を奉じて教興寺に屆き、衆を集め、仁王会を建ち、兼ねて千手千眼経を講ず。神妙章句外国怨敵即自降伏各政治國土還至と(千手経に「誦持如是陀羅尼神妙章句。外國怨敵即自降伏。各還政治不相擾惱」とあり)。師之を読むこと三度に至る。時に千手大士の像より大光明を放ち、四天王動くこと生身のごとし。満座の僧俗このため驚嘆す。また比丘八百余人を率いて、城州男山八幡宮にいたり、七日間の仁王会を開き、及び愛染明王法を修す。期満日にあたり、山岳揺動、殿の扉自ずから八宇に開く。殿中に声あり。曰く。上人外族を降さんがため大法を勤修す。吾まさに祐佐すべし。言い終わって一箭自ずから殿中より出で光を放って西に去る。その響き雷の如し。尋ねれば素旗三首また殿より出図。一には「妙法蓮華経」の五字あり。一には「大般涅槃経」の五字あり。一には「唯識三十頌」の五字あり。字字におのおの金光を放ちまた西をさして去り、にわかに、猛風大起し電砕け雷奔る。大雨河を傾ける。ここにおいて在会の僧俗争って未曾有のことなりと嘆く。このときにあたり、西海に波二十余丈に騰す。兵船数万一時に没す。宇佐大神託して曰く、西大思円上人(興正菩薩)国家のため禳災を欲し、男山に就いて法会を開く。これにより、六六州諸の神祇みな大宰府にいたる。今夜子の刻まさに兵船覆滅のときなり。師の道力かくの如し。・・・七年夏四月帝・・勅して(興正菩薩)輿にのりて禁中にいるを許す。・・・」
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