白雲よ月よ桜よ見るままに 萬代尽きぬをのが春秋。(主人公、主人公と大書してそのわきに。慈雲尊者)
春霞たちいる山に枝折して猶奥深く花を尋ねん。(心みずから心を知らず。見へん心なれば心を見ず。慈雲尊者)
みやまじや花の色香のときを得て おのが住家を人のとふまで。(慈雲尊者)
春秋はことば尽きせぬいろぞかし 月の白妙 花のくれなひ。(梵字の「阿」の賛、慈雲尊者)
みてもしれ ふもとの桜 峰の月 とりも直さぬ己が面目。(十善是菩薩の道場と大書してそのわきに。慈雲尊者)
草も木も げに御仏のこころとて 世々にたがはぬ をのが春秋(南無甘露王如来。慈雲尊者)
花にそひ 月にともなふ人ごころ 心の外の御法ならねば。慈雲尊者
我が法は深山のおくの桜花 見えぬ色香を身の春にせん。慈雲尊者
おそくとくをのがまにまに咲く花の色香ぞ春のあるじなりける。慈雲尊者
みよしのの吉野の山の山桜 花こそはるのあるじなりけれ。慈雲尊者
うちつけに誰にか見せむ山桜 嵐にちらぬ 花もあるものを。(徳山禅師の絵に賛。慈雲尊者)
(以下参考)
さまざまのこと思い出す桜かな 。芭蕉
吉野山 こずゑの花を見し日より 心は身にも添わずなりにき。西行法師
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに。小野小町<古今集 春下>
いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな。伊勢大輔 <詞歌集 春>
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし。 前大僧正行尊<金葉集 雑>
高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ。権中納言匡房<後拾遺集 春上>
年毎に咲くや吉野の桜花 木を割りてみよ 花のありかを(一休)
桜木を 砕いて見れば 花もなし 花をば春の 空ぞ持ち来る(一休)