福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日21日は文永の役で蒙古軍が敗走した日です

2024-10-21 | 法話
今日21日は文永の役で蒙古軍が敗走した日です。文永11年10月21日蒙古軍は博多から敗走しています。(人物叢書「叡尊・忍性」、ウキぺデア等)
「八幡愚童記」によれば
元軍の撤退理由については、日本軍が逃げ去った10月20日夜、八幡神の化身と思われる白装束30人ほどが筥崎宮より飛び出して、矢先を揃えて元軍に矢を射掛け恐れ慄いた元軍は松原の陣を放棄し、海に逃げ出したところ、海から不可思議な火が燃え巡り、その中から八幡神を顕現したと思われる兵が突如現れて元軍に襲い掛かり元軍を皆討ち取り、たまたま沖に逃れた軍船は大風に吹きつけられて敗走した、これは筥崎宮八幡大菩薩が以前御託宣で「定恵の力」で異国を成敗する、とおしゃったとおりであった(注1)・・、としています。
(時夜中に白張装束の人三千人計筥崎宮より出でて、箭鋒を整て射けるがそのことからおびただしくし身の毛竪って怖しく、家々の燃ゆる焔の海の面に移れるを波の中より猛火出でたりと見なして蒙古肝心を迷わして我先にと逃げぬ。・・この合戦大菩薩、定の弓、恵の箭を放ちたまはんに凡夫愚悪の異国人前後をうしなひ、東西に迷し事計り知んぬべし。御託宣に定恵の力もて自然に降伏すべし、とある、誠に違はざりき・・)
 
 
(注1。八幡愚童記にはさらに「(醍醐天皇の御字に)太宰少弐(九州警護の役職)真材、石清水八幡宮にて、進渉廊を造奉るべきよし立願ありと雖も、此の新宮を造営すべし、御殿は乾に向け、柱に栢を用うべし、末代の人民の力弱く公家の勢ひ衰へしころ、異国の逆人出来ば、敵国降伏の由を礎の面に書き付けて、吾座の下に置く可、敵国は定恵の力を以て自然に降伏すべしと。延喜二十一年921六月二十一日に七歳の女子地を去る事七尺にして御託宣ありしかば、真材首を傾けて、宿願未だ他人知らざるに神鑒違うこと無し。信心肝に銘じ急ぎ奏聞経るところに其の官符に云う、来寇を禦がんがため、これに加えて外賓通摂の堺なり。その宮殿を営み、殊に美麗を尽くすべしと仰せらる。醍醐天皇の御宇延長元年に造営して祝いたまへる八幡大菩薩の別宮なり。御座の下の文字は公家の宸筆を下さる。・・」と書いてあります。)
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