大峯顕「これはもういつの時代でも死ぬことを怖くなかった人間はいないだろうと思います。おそらく人間以外の動物でも、死ぬことが楽しいとか嬉しいとかということは、おそらくないので、生き物が持っている、生き物に与えられた本能みたいなもので、死ぬことに対して、やっぱり非常に否定的であると。死に対して自分を守りたいという気持ちは、どの生き物にもあると思いますね。簡単に言えば、〈死にたくないという思いは、全ての生き物に共通している〉んじゃないかと思います。そういう点で、昔の人達も今の人も同じだと思いますが、特に、現代では死にたくないという思いが非常に強烈になっておりますね。昔の人も死にたくはなかったけれども、現代人ほど強烈なことはなかった。だから、そこに現代人の置かれている新しい状況があるわけですね。〈個体というもの〉〈自分の持っている個人というものは、即ちいのちであって、個人が消えることがもう一切が消えることだ〉という。だから、これは非常に怖いんじゃないでしょうか。死後に天国があったり、極楽浄土があったり、或いは死後に地獄があったり、恐ろしいところがあったりするという。そういう観念はほとんど現代人持っていないようですね。そんなこと言ったって、この頃信じませんよ。だから、そうすると、死後は無くなっているわけですね、簡単に言えば。今、火が灯っているこのいのちが、〈小さな個体のいのちがいのちの全て〉で、あと〈それが消えると何にも無くなる〉と。そうすると、現代人にとっては死が、〈死ぬということが一番恐い地獄〉なんですね。死んでから後に地獄があるんじゃなくて、死ぬこと、そのことが非常に恐ろしいことになっている。それは〈いのちというのは個体の中にあるものだけだ〉という具合になってしまったんですね。でもこれは〈いのちのほんとのいのちの見方とは違う〉と思いますね。〈個体主義的ないのちの見方〉で、それがみんな当たり前だという具合になってしまったんですね。けれども、それはやっぱりほんとのいのちの見方ではない。というのは、〈いのちというのは、何も個体の中だけにあるんじゃなくて、私と違う他の動物、一本の草の中にもあれば、一匹の虫の中にもある〉〈いのちは私と他の個体の間にも繋がっているものだ〉と思うんですね。つまり〈個体以上のものがやっぱりいのちの正体〉であって、その〈いのちが我々の場合には個体の中に閉じ込められている〉わけでありますが、〈個体のいのち、どこまでもそれだけを守ろうとするところに、さっき言いました非常に強烈な死に対する恐怖〉と言いますか、〈死にたくない〉という、そういうような思いが出て来たんだと思いますね。それ(現代人の死を恐れる気持ち)はちょっと病的なものだと思っております。私はね。」
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