伊藤忠財閥の祖、初代伊藤忠兵衛は天保13年7月2日(1842年8月7日)に近江湖東の犬上郡に生まれています。伊藤忠兵衛記念館のホームページです。「彼の経営理念を貫くのは仏教的な慈悲心です。彼は、「商売は菩薩の業」と信じて店員にそれを徹底させました。近江商人を特徴づける「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」の実践や「商売で嘘をつくな」という厳しい教えも、そこからきていたといえます。同時に、彼は店員に対しても慈悲心を持って接しました。それは、主従の関係というより、家族主義的な、共同経営者として店員を遇する姿勢になってあらわれていました。「一六」と称して、1と6がつく日の月6回、全店員参加のスキヤキパーティを催したのも、その一例です。スキヤキ会は無礼講で、忠兵衛と店員たちが席をともにし、酒を酌み交わしたそうです。ほかにも、芝居や相撲見物、納涼船遊びなど、現在の社員リクリエーションを先取りした数々の行事を催し、店員たちを慰労しました。・・初代忠兵衛の篤い信仰心はかつて九州への持ち下り商いをしていたころ、福岡にある真宗西本願寺派の古寺・万行寺の住職であった七里和上(注)という高僧から、親しく仏の教えをうけたことがベースになっています。」とあります。
注)七里和上とは七里恒順師で幕末-明治時代の浄土真宗の僧。博多の萬行寺住職をして説法していましたがこの説教を聴くために、全国より参詣の方々が集まり、お寺の付近には数十軒の旅館が立ち並んだとさえ伝えられています。そして人々は「筑紫の生き仏」と言ってひれ伏して説教を聞いたといいます。福沢諭吉にも影響を与え、村田静照、真渓涙骨等を導き、浅原才市には次のような歌を与えています、「三十一まで なにが えろうなった こざるのやうな ちゑばかり こざるのやうな はからいやめて 南無阿弥陀仏を いふばかり」
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