復次に若し行者が唯だ止観の「止」だけを修行するときは、心は沈み、或は懈怠を起こし、善をねがわなくなり他者の為の大悲行を離ることになる。是故に「觀」をも修行すべきである。「觀」を修行するときは、當に一切世間の縁起によっておこっている現象は久しくとどまることはできなくてすぐに変化し、一切の心の働きも一瞬一瞬に変化し、このゆえに苦なりと観ずべきである。また過去におもったことは恍惚として夢の如しと観ずべく、現在に思っていることは電光の如しと観ずべく、未來に思うことは猶ほ雲の忽ちに起こるがごとしと観ずべく、應に世間一切の身を持つものは悉く皆な淨であり種種の汚があり、一としてねがうべきものなしと観ずべきである。この如くに当に念ずべきである、一切衆生は無始よりこのかた、皆な無明に纏わりつかれている故に、心をとめどなく変化せしめ、過去には一切の身心に大苦を受け、現在には即ち無量の逼迫あり。未來には苦しむところも亦た極まりなく、煩悩を捨がたいしその煩悩を覺知しない。衆生はこのように甚だ愍むべきであると。此のように思を作して、即ち應に勇猛に大誓願を立つべきである。以下の様に願うべきである。即ち、我心は物事を分別しないで十方に広がらしめ、未来永遠に一切の諸の善根を修行し、無数の手段を以て一切の苦惱する衆生を救って、覚りの樂を得しめんと。是の如き願を起こして、一切時一切處において、あらゆる衆善を已の能力に応じて、修業して心に懈ってはならない。
(復次に若人唯だ止のみを修せんとするときは、則ち心沈沒し或は懈怠を起こし、
衆善を樂わずして大悲を遠離す。是故に觀をも修すべし。觀を修習せんとせば、當に一切世間有爲の法は久しく停るを得ることなくして須臾に變壞し、一切の心行は念念に生滅し、是を以ての故に苦なりと観ずべく、應に過去に念ずる所の諸法は猶ほ恍惚として夢の如しと観ずべく、應に現在に念ずる所の諸法は猶ほ電光の如しと観ずべく、應に未來に念ぜんところの諸法は猶ほ雲の忽ちに起こるがごとしと観ずべく、應に世間一切有身は悉く皆な
不淨にして種種の穢汚あり、一として樂べきものなしと観ずべし。
この如くに当に念ずべし、一切衆生は無始世よりこのかた、皆な無明に熏習せらるるに因るが故に、心を生滅せしめ、已に一切身心の大苦を受け、現在に即ち無量の逼迫あり。未來に苦しむところも亦た分齊なく、捨しがたく難じ離たきに而も覺知せず。衆生は如是に甚だ愍むべしと。此の思惟を作して、即ち應に勇猛に大誓願を立つべし。願くは我心をして分別を離れたるが故に、十方に偏ぜしめ、一切諸善功を修行して其の未來を盡し、無量方便を以て一切の苦惱衆生を救拔して、涅槃第一義の樂を得しめんと。是の如き願を起こすをもっての故に、一切時一切處において、あらゆる衆善を已の堪能に随って、不捨修學して心に懈怠することなかれ。)
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