『み仏に りやくりやく(利益利益)とたのむより、 仏 助ける人となれ人 』 . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・24/27
八、摂折(摂受 と折伏 )の事。「雷震」と云は、菩薩慈悲ばかりにては叶はず。或時は又忿怒の形をも現して衆生を利益するなり。衆生が盛んに悪業をつくるゆへにをどす意にて「戒雷震」とはとき玉ふなり。此の慈悲と忿怒と云は折伏摂受の二つなり。此の二は鳥の羽翼、車の両輪にして相離れざるなり。慈悲柔の形にては善者を利益し、折伏忿怒の形を現じて悪者を利益し玉ふ . . . 本文を読む
(当時日清戦争で熊本鎮台からも出兵していたが)・・・大衆が静かなことは日本人の特徴である。個人と同じように、民族としても感情がより深く動き始めると、その外見上はますます自制的となるのである。天皇陛下が寄付された例に倣って市民たちも、この畏れ多い例に習って、酒、食料品や日用品、果物、珍味、煙草などありとあらゆる種類の寄贈品を船で輸送した。高価な物品を購うことのできない者たちは、草鞋を作っている。全国 . . . 本文を読む
元慶四年十二月四日は清和天皇が金剛輪陀羅尼を唱えて崩御された日です。
以下日本三代実録に依ります。「(元慶四年十二月四日)同日、申の刻(15時)太上天皇圓覚寺に於いて崩ず。時に春秋三十一。天皇風儀甚美、端儼神の如し輙。性、寛明仁恕、温和慈順、顧聞に因に非ず、発言不輙、挙動の際は必ず禮度を遵す。好く書傳を読み釈教に潜思す。鷹犬漁猟の娯は未だ嘗て意に留めず。・・・僧正真雅法師有り、降誕の初めより聖躯 . . . 本文を読む
以下「人生の帰諏」によります。「大正九年十二月四日、早朝念仏を称名しつつ遷化。後に田中木叉「日本の光・弁栄尊者伝」には、・・・11月29日、弁栄篤信の恒村医師の耳元には『如来は・・いつもいますけれども・・衆生は知らない・・それを知らせに来たのが・・弁栄である。』という言葉が残された。また12月3日、ある者はその耳元に三昧発得の偈(弁栄が筑波山で発得した偈「弥陀の心神は法界に遍く、衆生仏を念ずれば、 . . . 本文を読む
清和天皇は嘉祥3年3月25日(850年5月10日) に生まれ元慶4年12月4日(881年1月7日)に崩御されています。第56代天皇。清和源氏の祖でもあります。大変密教に縁の深い方でした。そもそもご誕生は大師の弟子真雅僧正(大師の肉弟・小野流の祖・法光大師)が嵯峨天皇に依頼され清和天皇の生誕を祈願したことに依ります。その縁で清和天皇は真雅僧正を護持僧とし御願寺である貞観寺を真雅僧正に開基させています . . . 本文を読む