福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国遍路日記(山頭火)・・その15

2014-03-22 | 法話
十一月十八日 好晴、往復四里、おなじく。

山のよろしさ、水のよろしさ、人のよろしさ、主人に教えられて、二里ちかく奥にある池川町へ出かけて行乞、九時から十二時まで、いろいろの点で、よい町であった(行きちがう小学生がお辞儀する)。(この光景は何十年後の今も四国では続いていて有難い限りです。)
行乞成績は銭七十九銭、米一升三合、もったいなかった(留守は多かったけれど、お通りは殆んどなかった、奥の町はよいかな)。
渓谷美、私の好きな山も水も存分に味った、野糞山糞、何と景色のよいこと! 三時には帰って来て、川で身心を清め、そして一杯すすった。
明けおそく暮れ早い山峡の第二夜が来た、今夜は瀬音が耳について、いつまでも睡れなかった。
宵月、そして星空、うつくしかった。

“谿谷美”
“善根宿”
“野宿”
行乞しつつ、無言ではあるが私のよびかける言葉の一節、或る日或る家で――
“おかみさんよ、足を洗うよりも心を洗いなさい、石敷を拭くよりも心を拭きなさい”
“顔をうつくしくするよりもまず心をうつくしくしなさい”


(十一月十六日)(十一月十七日)(十一月十八日)


あなたの好きな山茶花の散つては咲く(或る友に)


野宿


わが手わが足われにあたたかく寝る
夜の長さ夜どほし犬にほえられて
寝ても覚めても夜が長い瀬の音

橋があると家がある崖の蔦紅葉
山のするどさそこに昼月をおく
びつしり唐黍ほしならべゆたかなかまへ
岩ばしる水がたたへて青さ禊する
山のしづけさはわが息くさく
(最後の句は自身の罪業の深さを噛みしめている山頭火の姿が出ています。交流のある念仏者木村無相の薫陶を受けたのかもしれません。)

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