次に「有相の三密」、「無相の三密」ということです。
「有相の三密」というのは手に印を結び口に真言を唱え意を三昧地に位するものです。
「無相の三密」というのは挙手動足皆佛印、開口発意悉真言、起心動念咸妙観といいまして、われわれのすることなすことすべて仏の所作ならざるはなしとするものです。
わが宗には機根のたてかたに
・発心即到の機(これは修行不要の人)
・修行成仏の機のなかの無相三密の機(全ての動作を密印と観じ、すべての発声を真言と思い、すべて起こる意識を妙三昧地と知る人)
・修行成仏の機ののなかの、有相三密(手に印を結び口に真言を唱え意を三昧地に位する人)
とありますが、この中の発心即到の機の人と無相三密の機の人は極大上根の人で特別の人です。
普通の人は有相の三密の機の人です。つまりこういう機根の人は、有相三密(手に印を結び口に真言を唱え意を三昧地に位する)行を行た上で悟りを開きます。そうしてはじめて振り返ってみれば一切諸法は曼荼羅の上の境界として現れ、我ら凡夫の為すことも皆佛作佛行にあらざるなしとあらわれるのです。これを「有相によって無相に契う」といいます。
ある人は「真言宗は仏前で三密行を修するなどとしているがそれよりは社会事業・慈善事業に努めるほうが無相の三密になるのではないか?」と問います。
しかしこれは間違いです。無相の三密というのは悟った後の境涯で、一切の善悪を捨象している境涯です。無相の三密にとっては善悪の区別を設けず一切の三業の所作を悉く佛作佛行とするのでありますから殺盗淫妄等の十悪業も五戒十善・仁義忠孝等の善悪も皆平等であります。悪業をすてて社会福祉事業をするというのはすでに善悪において取捨しているので有相の三密であり、無相の三密ではありません。
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