今日は智山第十一世護持院第三世覚眼遷化の日
以下密教大辞典等に依ります「覚眼・・薩摩の人。大乗院に入り、後豊山に来りて顕密の學を究める。醍醐に到りて有雅に就きて幸心一流を探る。後、江戸圓福寺に住し宝永二年智山第十一世能化となる。‥教風一世に高志し。‥江戸護持院第三世に転じ新義僧録職となり・・享保二年正月護持院火災となり(注1)自ら身を市谷圓満寺に隠居し、著作三昧。享保十年十一月八日寂。壽八十三。住心品冠註九巻、十巻章撮義鈔二十四巻、釈論科註二十巻・・・。
(注1)「護国寺史」によるとこの火災で今の護国寺を護持院と呼ぶことになり、観音堂のみを「護国寺」と呼ぶこととされています。しかしその後再度護国寺の堂宇を別に建立することとなっています。