福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「日日影向文」

2021-03-21 | 頂いた現実の霊験

「日日影向文」です。
「卜居於高野樹下 (居を高野の樹下に卜し)遊神於兜卒雲上 (神を兜卒の雲上に遊ばしむ)不闕日日之影向 (日々の影向を闕かさず)検知處處之遺跡 (處々の遺跡を検知す)
(「大師は高野山奥の院に身を留め、兜卒天にいながら毎日欠かすことなく大師所縁の遺跡に影向し信不信を検知す」)
高野山の大門にこの後半の偈が興教大師の筆で書かれています。右側が「不闕日日之影向」、左側が「検知處々之遺跡」です。また奥の院の五輪塔婆にもこの句が書かれています。

1、高野大師御広伝には「承和二年三月十五日、大師また曰く、『・・吾入定の間、知足天に往き、慈尊の御前に参詣し、五十六億余歳の後、慈尊下生の時、必ず随従して吾旧跡を見るべし・・吾閉眼の後、必ず兜率天に上生し、慈尊出生の時、随従して我が先蹟を問うべし・・。』・・」とあり、
2、大師御伝記には「遺跡影向のこと・・あるとき東寺定額僧、縁実といふ人、讃州善通寺の別当になりて下向の時、彼の寺にして大師の御筆を感得したまひけるに、その文に曰く『居を高野の樹の下に卜し、神を兜率雲の上に遊ばせ、日々の影向を欠かせず、処々の遺跡を検知す、云々』。・・」あります。
3、二十五箇条の御遺告には
「・・後生の末世の弟子、祖師の恩を報進すべき縁起第十七
夫れ以(おもんみれ)ば東寺の座主大阿闍梨耶は,吾末世後生の弟子也。吾が滅度以後、弟子数千万あらんの間の長者なり。門徒数千万なりといへども、しかしながら吾が後世の弟子也。祖師吾が顔を見ずといへども心あらん者は必ず吾が名号を聞きて恩徳の由を知れ。(恩徳の由来を知れ)。是れ吾れ白屍のうえに更に人の労りを欲するに非ず。密教の寿命を護り継て竜華三庭を開かしむべき謀なり(弥勒菩薩が成道の折、竜華樹のもとに三回の集会をひらいて衆生を救済せんとするおもんばかりである)。吾閉眼の後には必ず方に兜率他天に往生して弥勒慈尊の御前に侍すべし。五十六億余年の後には必ず慈尊と御共に下生し、祇候して吾先跡を問ふべし。また且つは未だ下らずの間は、微雲管より見て、信否を察すべし。このときに勤めあらば祐を得ん。不信の者は不幸ならん。努力努力(ゆめゆめ)後に疎にすることなかれ。また僧尼令を案ずるに曰く、碁・琴は制の限りにはあらずといへり。然れどもひそかに密教の心を案ずるにこの家にはこのことなからしむべし。然るゆえんはもし未練の僧,ならびに童子等あって、この遊びを放さるれば必ず後代の過あらん。いかにいわんや囲碁・双六をや。一切停止せよ。もししいてこのことを好まんものはすべて吾が末世の資にあらず。刹利種性・蔭子蔭孫(クシャトリヤ・高貴な生まれ)を論ぜず。しかしながら悉く追放せよ。一切寛宥することなかれ云々。」とあります。

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