「高野春秋」「(延喜元年901)冬十二月十三日、長者益信僧正を大阿闍梨と為し、東寺灌頂院に於て空理法皇(寛平法皇)に両部密灌を授輿し奉る。是御悃望に凭る也」
(「此の時、益信僧正誠講の言に『大王諦聴、斯の秘密無上大法は南天鐵塔内において金剛薩埵大普賢如來は龍猛を得て之を傳へ、猛は龍智に授し、跋折羅戌波伽羅に附す。此の二尊は倶に中天の大王の子、戌波伽羅は幼にして寳位を脱して那伽尊者の門に入り、法身之秘輸を佩ぶ。豈に金剛乗大日法王宗の規模と称にあらざらんや。祖曰く、輪王の種姓に非ざる者は斯法を持し難し。下卑は方非き也。今、斯の秘密灌頂法身心印を以て大王に付しおわんぬ。永く金輪を転じて法脈を断ずこと莫れ。』」(大山公淳「寛平法皇の事相」))
(同じく「高野春秋」に「(昌泰二年899)・月・日、太上皇(宇多天皇、寛平法皇と号す)益信師を推貴して師資の礼を以て落飾受戒さる。法諱空理。廣澤流第二血脈。法皇の号は茲に始まる。」)