今日は菅原道真公が法華會の願文を書かれた日
菅家文章「太上の皇勑を奉り清和院に於いて法会の願文」「弟子。帰命敬首して釈迦仏像一躯・脇士菩薩像二躯を造り奉り、幷に金字法華経八部・無量義経・普賢観経各八巻、金光明経一部を寫し奉る。所以者何んぞ。弟子眇身を奉り忝くも鴻業に當る。一天下の主の為、諸衆生の君の為に、毎願風雨調和、稼穡豊稔、國土の歓を無垢界に於いて合せ、人衆、楽を有頂天に同じくせむことを。豈図んや在位年深く、利他の徳頻りに缺く。道を渉るに日浅く、己を剋すの誠屡空なり。是の故に弟子、黄屋(きぬがさ。転じて、天子・帝王)を逃れ以て歸るを忘る。蒼生損して顧みず、追って既往に慙す。二三年来、今此の慈悲哀愍の加持を仮る。彼の開示悟入の方便に資し、十方三世共に利益を得、過去未来同じく護念を蒙らしめんと欲す。弟子自ら謂ふ、法界道場説法の郷は皆是鹿苑なり。如来不住も真如の境は豈唯鷲峯のみならんや。故に幽堂を洒掃して師子座を其の上に移し、静室を荘厳し、大比丘をその中に屈し、六日齋を設け八座會を開く。其の香華也。我が心清浄、我が掌慇懃、其の観念也。諸天化来、諸仏影向、仰ぎ願くは釈迦大師、観音、虚空等の菩薩、妙法大乗無量普賢等経主、弟子発意の唯一なることを歓喜し、弟子宿願の二なきことを聴許したまへ。遠くは則ち三千世界、百億須弥、近くは則ち登遐七廟、長逝四恩、乃至三途八難、鬼類冥道、此の功徳力を以て速やかに菩提果を證したまへ。」
(注)元慶三年(879)陽成天皇が八座の法華経會を設けられたことは日本三大實録にあり。
「(元慶三年三月)二十四日、太上天皇、清和院に於いて大齋會を設け法華経を講ず。五日を限り訖。親王公卿畢會。」