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福聚講

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行基菩薩の歌

2012-08-10 | 法話
行基菩薩の歌です。

法華経を我が得しことは薪(たきぎ)こり菜つみ水くみつかへてぞ得し(拾遺和歌集)

【訳】法華経の教えを私が得たのは何故かというに、前世において薪を樵り、菜を摘み、水を汲んで、阿私仙に仕えて得たのである。

(法華経「提婆達多品」に「爾の時に仏、諸の菩薩及び天・人・四衆に告げたまわく、吾過去無量劫の中に於て法華経を求めしに、懈倦あることなし。多劫の中に於て常に国王と作って、願を発して無上菩提を求めしに、心退転せず。六波羅蜜を満足せんと欲するをもって布施を勤行せしに、心に象馬・七珍・国城・妻子・・僕従・頭目・髄脳・身肉・手足を悋惜することなく、躯命をも惜まざりき。時に世の人民寿命無量なり。法の為の故に国位を捨てて政を太子に委せ、鼓を撃って四方に宣令して法を求めき。誰か能く我が為に大乗を説かん者なる。吾当に身終るまで供給し走使すべし。時に仙人あり、来って王に白して言さく、我大乗を有てり、妙法蓮華経と名けたてまつる。若し我に違わずんば、当に為に宣説すべし。王、仙の言を聞いて歓喜踊躍し、即ち仙人に随って所須を供給し、果を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設け、乃至身を以て状座と作せしに、身心倦きことなかりき。時に奉事すること千歳を経て、法の為の故に精勤し給侍して、乏しき所なからしめき。 )とあります。


【本歌取りの歌として】
薪こり峰の木のみをもとめてぞえがたき法は聞きはじめける(藤原俊成[玉葉])
水や汲まむ薪や伐らむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に(良寛)


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