欽明十三年(552)十月、百済の聖明王が釈迦の金銅仏像・経典などを献上した第一回目の仏教公伝に次ぐ二回目の仏教公伝が敏達天皇十三年九月にあり、このとき仏舎利出現が記録されています。そしてこの仏舎利は後に塔の中に納められます。
(日本書紀・敏達天皇十三年584)秋九月、百済より来る鹿深臣(かふかのおみ)、弥勒石像一躯有てり。佐伯連、仏像一躯有てり。
是の歳に、蘇我馬子宿禰、其の仏像二躯を請け、乃ち鞍部村主(くらつくりのすくり)
司馬達等(しまのたつと)・池辺直氷田(いけへのあたいひたともと)を遣して、四方に使して修行者を訪ひ覚めしむ。是に唯播磨国において僧の還俗せし者を得。名は高麗の
恵便といふ。大臣、乃ち以て師となし、司馬達等が女島(むすめ)を度せし
む。善信尼と日ふ。年十一歳。又善信尼の弟子二人を度せしむ。其
の一は、漢人夜菩(あやひとのやぼ)の女豊女(とよめ)、名は禅蔵尼と日ふ。其の二は、錦織壼(にしこりのつぶ)の女石女(いしめ)。名は恵善尼と日ふ。(壼、此は都符つぶと云ふ。)馬子独り仏法に依りて、三尼を崇敬す。乃ち三尼を以て氷田直と達等に付け
やけて、衣食を供せしむ。仏殿を宅の東方に経営して、弥勒石像を安置す。三尼を屈請し、大会の設斎す。此の時に、達等、仏舎利を斎食の上に得たり。即ち舎利を以て馬子宿禰に献る。馬子宿禰、試みに舎利を以て鉄の質の中に置きて、鉄の鎚を振ひて打つ。其の質と鎚と悉に催け壊れぬ。而れども舎利は催き殿るべからず。又、舎利を水に投る。舎利、心の所願に随ひて水に浮沈す。是に由りて馬子宿禰・池辺氷田・司馬達等、仏法を深く保ち信じ、修
行すること解らず。馬子宿禰、亦石川の宅に仏殿を修治す。仏法の初め、薙より作れり。
(敏達天皇)十四年春二月戊子朔壬寅(585.02.15)、蘇我大臣馬子宿禰、塔を大野丘の北に起てて、大會の設齋す。即ち達等が前に獲たる舍利を以て、塔の柱頭に藏む。
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