地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の16/17
十六、 天上見て人間に下る事
山城國伏見の里に栖ける賤の子に千代童丸と申す有り。宿縁の動かす所か自ら好んで出家して僧形になり宇治の橋寺(放生院のこと。京都府宇治市宇治(近世においては山城国宇治郡宇治郷内)にある真言律宗の寺院。本尊は地蔵菩薩。通称の橋寺の由来は、近くの宇治川に架かる宇治橋をかつて当寺が管理していたことによる。)にて無上菩提のために學文しけるに氣の稟(かか)ること斉しからずして記憶曽ってなく義を解すること万に一つもなし。心中にも前業拙き事を歎き所詮文理を解して佛道を修行せん事中々及び難しと博文約理(博文約礼と同義か。博文約礼とは広く学問をおさめ,事の理をきわめた上,礼を持って正道をあやまたぬように行うこと。「論語・雍也」)の方を廃し何条易く入無為の道に合當すべきと思念するより外他なし。橋寺の上人廣智辨才の哲仁なれば彼が頑愚にして志の切なることを愍みを示して曰、汝安易に彼岸に到らんと願はば至誠心に地蔵尊に帰依して本願をたのみ奉り寶号を口唱すること怠慢なくあらば正覚を成ぜん事疑ふべからずと云々。教の随に(ままに)して旦夕唯南無地蔵菩薩と唱奉る事造次(ぞうじ・わずかのひま)にも斯に於いてす。かくして猶思ふやういかにもして尊像を一躰造立したてまつりたく・・此れ思ひ寝ても斯に願ふ處に古佛御長二尺餘(60㎝餘)の地蔵を設け奉り人に見せまいらすれば中々凢作にてはなし、靈像にておはします人にとられまいらせ給ふな、と云へば堅く秘蔵して朝夕名号を唱へ奉り香華を供養し奉り御身に鈴を付けまいらせ、人若しさわらば鳴って卒爾の事あるまじきと不断放心することなし。されば年月を経て思ふやう、如是にしていつまで火宅に住する前業ぞや、片時も速やかに浄土に引接し玉へと肝胆を摧き祈りけるに或夜三更(午後十一時から午前一時)に及びけるに僧一人来り給ひて、汝念佛已に年月を累たり。生身に浄土に往きたく思ふならば来れとの玉ふ声につきて往くほどにこれぞ浄土の東門兜率天とやらおぼへて人の形常ならず、光明赫々たり。土地皆瑠璃にして明徹したり。楼門の内を見れば七寶荘厳せり。宮殿棟を列ねて真に目を驚かす。さて件の僧指さして此の門の額は妙法蓮華経序品第一と書きたり、汝此の文字を見知る時、此の門の内に入るべしとて下界に下り玉ひて今より後六年を経て復たあkれの内院に連行くべしとの玉ひて何方ともなく失せ給ひぬ。現に此の不思議の御示にあずかりて徒に片時も衆と共に月日を數ふべきにあらずと朝日山に篭居して御迎へを待つこそ程遠くぞ有るらむ。角(かく)して星霜六歳をこへて虚空に音楽聞きて睡るがごとくに相果てぬ。諸の業は心より生れ、佛種は縁より起る。玉本と光なし。琢くによりて光を生ず。人本と愚なり。修するによりて成佛す。志を励まし供養を致さば佛智の照見何の疑かあるべきや。
引証。延命經に云く、若し此の願知りて二世の所求悉く成ぜずんば正覚を取らじ云々
(仏説延命地蔵菩薩経・「生生の父母、世世の兄弟、悉く佛道を成ぜしめて後、我成仏せん。若し一人を残せば我成仏せず。 若し此願を知りて二世の所求悉く成ぜざれば者正覚を取らじ」」)。
又云く、世尊未来の衆生此の經是の菩薩名を聞かば、我等しく皆是の人に随順し、心眼明と作し、 其人の前に現れて所求圓満せん。若し爾らずんば不取正覚云々。
(仏説延命地蔵菩薩経「世尊よ、 未来の衆生 、もし此の経、是の菩薩名を聞かば、我等皆當に是人に随順し、心眼明と作し、 其人の前に現れて所求圓満せん。若し爾らずんば不取正覚」)。