もし臨終の一期に心がけなきひとの或は頓死、あるひは横死したば場合には、随求尊の法七座、随求陀羅尼(おん ばらばら さんばらさんばら いんだりや びしゅうだに うんうん ろろしゃれい そわか)七辺、五十三佛礼賛文二十一辺読誦し、その墓においては随求陀羅尼の卒塔婆を立てるべし。このごとく善根の追福をなせば還って自分の当来の成仏の種となるなり(随求陀羅尼経に陀羅尼の一文字でも死骸に触れれば亡者は極楽に生ずとあり)。・・・一切の人間の肉団心は根本無明が閉るが故に、合蓮華の如くにして未だ開かず。その中にあるところの一切の功徳は顕現せざるなり。もしこの八分の肉団心(肉体の心臓)を開けば大日大円の九識(注1)の法界体性智(注2)出現して、自身はまったく法界の大日となる。いまこの一切衆生の肉団心は浄菩提心の如意宝珠にして、大日如来と釈迦如来との舎利なり。涅槃経には金剛宝蔵と説き、大日経には如意宝珠と説きたまへり。一切衆生の浄菩提心には十方三世(注3)のいっさいの法はみな聚集して欠けざるがゆえなり。舎利といい法界塔婆というも一切の功徳の法のあつまりたるところという義なり。これをもって年忌塔婆は志すところの生霊の浄菩提心にして法界塔婆全身の標示とこころえて墓にたつべし。
注1)眼・耳・鼻・舌・身・意・末那識・八識(阿頼耶識)・九識(阿摩羅識あまらしき=超意識)
注2)法界体性智とは究極の大日如来の智恵
注3)三世とは過去現在未来。十方とは、東・西・南・北の四方、北東・南東・南西・北西の四隅と上・下
注1)眼・耳・鼻・舌・身・意・末那識・八識(阿頼耶識)・九識(阿摩羅識あまらしき=超意識)
注2)法界体性智とは究極の大日如来の智恵
注3)三世とは過去現在未来。十方とは、東・西・南・北の四方、北東・南東・南西・北西の四隅と上・下