福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

真言教誠義・・10

2018-05-17 | 法話
真言宗の三密の引導の法は色心不二人法一致にして六大の体性と四曼の別相と三密の業相とはともにこれ本有性徳にして(お大師様は宇宙を本体としてのを六大(地水火風空識)と、象徴としてのの四曼(「四種曼荼羅の略。大曼荼羅・三昧耶曼荼羅・法曼荼羅・羯磨曼荼羅のこと)と、実践論としての身口意・三密としてかんがえられました)一切衆生の体・相・用(「体・相・用」という言い方は、『大乗起信論』にあり、体大・・実質、相大は姿、用大は働き)と論じたことに由来します)の三は本来大日如来の体・相・有の三大にして本覚成仏の不二の色身なれども、無始よりこのかた根本無明が随逐して一切衆生の自身の自然覚の常智の放つ光明のへだたりを致すがゆえに、この無明の間隔にさそわれて法位の六大法身の都を迷い出で、無始以来面々の自心の外において五塵六欲の相を見出して車の回るがごとくに生死因果の回ること今日までも、しばらくも止まらざるなり。いはゆるそうじて人間一生の立ち居振る舞いは昨夜の夢の如くにして、覚悟の前にすべて体はなければただ遍計所執(妄想)なり。ゆえに金剛般若経には「一切有為の法は夢幻泡影のごとく露の如くまた雷のごとし」とときたまへり。ゆえに皆、迷中の迷なれば、佛の教えの実の法の如くに、みずから自心は本来不生なりと覚りて、根本に迷いいでたる初の法位の六大法身の都に帰宅せよとおしふるは真言宗の引導なり。たとえば法華経の信解品に長者が家の窮子が長者をば我が父としらざるがゆえに、長者の家を迷い出で久しく流浪して他国を経て種々の苦労を受け後にみずから我が父なりと知って長者の家に帰り、長者の家督を受くと説けるが如し。この比喩の意をもって真言の引導の法の意を知るべし。その法意の六大とは諸法のみなもとにして地水火風空識は次の如く堅湿軟動無碍了知の性にしてしかも森羅万像の四曼の隨縁の諸法の能造にして色法と心法と不二の諸法の体性なれば四曼の諸法のなかに周遍してあるがゆえに大の名をあたえて六大というなり。なかにおいて地水火風空の五大は色法、識大は心法なり。この色心の二の法は法然本有の常住の法なれば不生不滅なり。・・
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