福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

往生さえできればいずれの浄土へも行ける

2021-03-30 | 法話

「密宗安心教示章(明治十七年三月二十一日仁和寺三十二世別所栄厳大和上示衆)第九 大日浄土章」

光明真言を唱えればいずれの浄土でも往生できる。往生さえできればいずれの浄土へも行けるのでどこにいる先亡にも会える。
「大日如来の浄土は自性法界宮、密厳国土と称して十地等覚の菩薩も、大日如来の加持を離れては猶見聞の境界に非ずとす。然るを大日如来、實の如く自心を覚悟したまひて、本有荘厳の浄土を開顕し、十方諸仏と共に、真言加持の事業をなし、無余の衆生を済度したまふ。其神変不思議の境界を名つけて、自性法界宮と称し、又は、密厳国土と号するなり。是故に浄土において二あるに非ず。是大日如来一心法界本有荘厳の浄土にして安養都率を始め、あらゆる十方の浄土もみなこの密厳国土の中の一佛土にあらざるなし。是故に興教大師は「十方の浄土は一佛の化土にして一切如来は悉く是大日なり」と述べ給へり。されば下根劣慧の輩といへども、一真言に信決定するときは、十方の浄土いずれなりとも其願に任せて往生せんこと決定なり。又往生をだに遂ぐれば、浄土は穢土に異なりて、互いに往生すること無碍自在なれば、生生世世の父母、妻子眷属及び一切有縁の衆生と共に、微妙の説法を聴聞師、終に本具の覚體を開くことを得んは、是偏に真言不思議の教力に在ることぞと、深く信じて日々光明真言を念誦相続し、急ぎて浄土往生を願ふべきなり。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神儒仏老の関係 | トップ | ラフカデオハーン「神国日本... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事