敵も味方も同じ仏
清水の次郎長は「敵も味方も同じ仏」としてだれも新政府を恐れて収容しなかった旧幕府軍咸臨丸の兵士死体を回収し葬った、とされます。
古来日本人は敵味方も死ねば同じと考えてきました。この潔いしかし深い考え方は佛教からきていますがこの思想はいまや各国さまざまな分野でかってなく断絶を深めている現代世界の宝です。世界に発信すべき貴重な救世思想です。
以下その証拠の一部です。
・高野山奥の院にある 熊谷直実平敦盛供養塔は熊谷次郎直実が出家し一の谷の戦いで自分が手にかけた平敦盛の霊を弔うために建てたといわれています。
・円覚寺は文永・弘安の役で戦死した敵味方の供養のために執権北条時宗が建立した寺です。
・天竜寺は足利尊氏が自ら滅ぼした後醍醐天皇の霊を慰めるために建てられています。
・高野山奥の院の「高麗陣敵味方戦死者供養碑」( 慶長四年(1599年)、は薩摩藩主島津義弘・忠恒父子が朝鮮役の敵味方供養の為に建立。
清水の次郎長は「敵も味方も同じ仏」としてだれも新政府を恐れて収容しなかった旧幕府軍咸臨丸の兵士死体を回収し葬った、とされます。
古来日本人は敵味方も死ねば同じと考えてきました。この潔いしかし深い考え方は佛教からきていますがこの思想はいまや各国さまざまな分野でかってなく断絶を深めている現代世界の宝です。世界に発信すべき貴重な救世思想です。
以下その証拠の一部です。
・高野山奥の院にある 熊谷直実平敦盛供養塔は熊谷次郎直実が出家し一の谷の戦いで自分が手にかけた平敦盛の霊を弔うために建てたといわれています。
・円覚寺は文永・弘安の役で戦死した敵味方の供養のために執権北条時宗が建立した寺です。
・天竜寺は足利尊氏が自ら滅ぼした後醍醐天皇の霊を慰めるために建てられています。
・高野山奥の院の「高麗陣敵味方戦死者供養碑」( 慶長四年(1599年)、は薩摩藩主島津義弘・忠恒父子が朝鮮役の敵味方供養の為に建立。