今日は伝教大師が弘法大師にしばらくは天台の修行に勤しみたいとする書状を出された日
「忽ち迎問(げいもん)を承けて、伏して下情を慰む。雨寒し。伏しておもんみれば、闍梨、持念安穏ならむ。最澄いたる所、未だ了らず。頂拝未だ由あらず。不信の衆生は己身にあり、おもうに、方便を設けて吸引せむのみ。窮子(法華経信解品に説く長者窮子の教えのように仏性を悟れていない衆生)の驚き未だ息まず。暫く一乗の門(諸法実相という天台一乗の教え)に住す。無生の日、定むで法を聞かむ。未だいとまあらず、珍重。しばらく円師の還るに因りて身代奉上す(弟子の円師が帰るに託して書状をたてまつります)。謹んで和南す。
十月二十六日 釈最澄状して上る
高雄持念闍梨法右謹空」
この時、大同四年(809年)十月二十六日、弘法大師三十六歳、伝教大師四十三歳でした。(「伝教大師消息」より)