地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の2/22
二、劉氏蘇生の事
蘭州金水県(河南省鄭州市)と云所に劉氏侍良と云者あり。所用あるにより隣の邑に行くに途中に捨てたる杖有り。取りて見るに杖の頭に刻むものあり。其の像何の像かも見へざれば持ちて家に皈り壁の間に挟みて安置したてまつるといへども至心に敬事もなく時々自身の食物の上分を供するに過ぎず。角(かく)して日往き月来ることを越て侍良病に侵されて終に此の世を去りにき。されども胸間猶陽氣ある故に軽がるしく葬ることなし。一日二夜を経て侍良たちまち治り(よみがへり)改悔自責して身を大地に投げて敬佛す。家内の輩ら大に驚て其の故を求む。答らく、吾初め死し時に多騎の冥官前後を圍みて駈て獄門に至らしむ。閻王大に怒て罪業の浅からざるを責む。怖畏万端身心悶乱す。此の時一人の沙門形甚だ醜きが忽然と来り廳前に至る。大王敬って座を下りて踞ひて沙門に向て言ふ、大士何の因縁有って来至し玉ふや。沙門の曰、今汝が召す侍良は是我が年来の施主也。何ぞ之を救ふことを欲せざらんや云々。大王の言く、業既に決定す。此の事云何んせん。沙門の言く、吾昔忉利天にをいて釋尊の付属をうけてより以来能く定業の衆生を度す。何ぞ侍良のみ捨んやと。王の言く、其れ舩師大舩師の帆を飛ばする猶寒獄の氷に滞り、醫王大醫王の妙藥尤も熱城の煙を銷し難し(無量義經徳行品第一「船師大船師運載群生渡生死河。置涅槃岸。醫王大醫王。分別病相曉了藥性。隨病授藥令衆樂服。調御大調御。無諸放逸行。猶如象馬師。能調無不調」)。大士の法雨灌いで猛火をけし、恵日照らして寒氷を解く。貴とぶべきは誓、敬ふべきは利用なりと罪人を放ち還さる。沙門歓喜して涙を忍辱の袖にうけ、侍良が手をとり径路を示して皈る。良別(わかれ)に望んで、公は誰人にて座(ます)とあれば、沙門の云く、我は是地蔵菩薩也。汝平生の時、途中にをいて我が像を見て家に持皈り壁中に置く。汝憶念せざるやと言ひ已って忽然として見玉はず。我既に此の勝利を見るに昔の怠過を思ふ故に自ら是の如し云々。聞く者歓喜の念を起こし壁の間を見れば杖頭の像高さ五寸なり。共に刻絲を加へて厳(ごんずる)に像忽ち光を放つ。其の家内に安置して精舎となし、地蔵院と号す。