福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

神道の新しい方向、折口信夫・・2

2017-02-27 | 法話
われ/\の近い経験では――勿論われ/\は生れてをらぬ時代ですが――明治維新前後に、日本の教派神道といふものは、雲のごとく興つて参りました(黒住教、神道修成派、出雲大社教、扶桑教、実行教、神道大成教、神理教、神習教、御岳教、神道大教、禊教、金光教、天理教の13派)。どうしてあの時代に、教派神道が盛んに興つて来たかと申しますと、これは先に申しました潔癖なる道徳観が、邪魔をすることが出来なかつた。一旦誤られた潔癖な神道観が、地を払うた為に、そこにむら/\と自由な神道の芽生えが現れて来たのです。
たゞ此時に、本当の指導者と申しますか、本当の自覚者と申しますか、正しい教養を持つて、正しい立場を持つた祖述者が出て来て、その宗教化を進めて行つたら、どんなにいゝ幾流かの神道教が現れたかも知れないのです。たゞ残念なことに、さういふ事情に行かないうちに、ばた/\と維新の事業は解決ついてしまひました。それから幸福な、仮りに幸福な状態が続いて参りました。その為にまた再び神道を宗教化するといふことが、道徳的にいけない、道徳的に潔癖に障るやうな心持ちが、再び盛んに起つて参りました。さうして日本の神道といふものは、宗教以外に出て行かうとしました。
只今におきましても、神道の根源は神社にあり、神社以外に神道はない、と思つてゐられる方が、随分世の中にあるだらうと思ひます。それについて、なほ反省して戴かなければならない。相変らずさうして行けば、われ/\は遂に、西洋の青年たちにも及ばない、宗教的情熱のこれつぱかりもないやうな生活を、続けて行かなければならないのです。思うて見れば、日本の神々は、曾ては仏教家の手によつて、仏教化されて、神の性格を発揚した時代もあります。仏教々理の上に、日本の神々を活かしたこともあつた訣です。

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