第6回拡大関東一宮ほか巡拝~寒川神社、鶴岡八幡宮~
日時 平成29年2月5日(日)10時35分
集合場所 JR相模線 寒川駅改札口
・相模国一ノ宮 寒川神社
・祭神 寒川大明神で以下の二柱
寒川比古命(サムカワ ヒコノミコト)
寒川比女命(サムカワ ヒメノミコト)
・名神大社で、相模国における延喜式内社十三社の中で、唯一の大社。2柱とも記紀には記載がないが、古代より当地の豪族が造営し寒川明神とし
て尊崇されていた古社。
承和13年(846年)9月、從五位下 (『続日本後紀』)、延喜16年(916年)正月28日、正四位上 (『扶桑略記』)に列せられる。
なお、相模国には縄文時代の祭祀跡や遺跡が数多く存在しており、寒川神社の起源そのものは、歴史書に登場する以前の古墳時代もしくは以前に
遡る可能性もあるともいわれる。
寒川駅より6分ほどで、一の鳥居へ。 暫く木立に包まれた参道を歩き、二の鳥居へ。
これより境内へ入る入口に三の鳥居と神池橋がある。 神門(楼門)
寒川神社の参拝をすませ、寒川駅~大船駅~鎌倉駅へ
・鶴岡八幡宮 旧国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。
・祭神 祭神は以下の3柱で、「八幡神」と総称されている。
応神天皇 (おうじんてんのう) 第15代天皇
比売神 (ひめがみ)
神功皇后 (じんぐうこうごう) 第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母
・康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮
護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まり。
駅から直ぐのところに、新装された段葛が八幡宮へ真っ直ぐに伸びている。 大石段の先に、本宮(上宮)がある。
参拝後、解散。 ~K.S~
日時 平成29年2月5日(日)10時35分
集合場所 JR相模線 寒川駅改札口
・相模国一ノ宮 寒川神社
・祭神 寒川大明神で以下の二柱
寒川比古命(サムカワ ヒコノミコト)
寒川比女命(サムカワ ヒメノミコト)
・名神大社で、相模国における延喜式内社十三社の中で、唯一の大社。2柱とも記紀には記載がないが、古代より当地の豪族が造営し寒川明神とし
て尊崇されていた古社。
承和13年(846年)9月、從五位下 (『続日本後紀』)、延喜16年(916年)正月28日、正四位上 (『扶桑略記』)に列せられる。
なお、相模国には縄文時代の祭祀跡や遺跡が数多く存在しており、寒川神社の起源そのものは、歴史書に登場する以前の古墳時代もしくは以前に
遡る可能性もあるともいわれる。
寒川駅より6分ほどで、一の鳥居へ。 暫く木立に包まれた参道を歩き、二の鳥居へ。
これより境内へ入る入口に三の鳥居と神池橋がある。 神門(楼門)
寒川神社の参拝をすませ、寒川駅~大船駅~鎌倉駅へ
・鶴岡八幡宮 旧国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。
・祭神 祭神は以下の3柱で、「八幡神」と総称されている。
応神天皇 (おうじんてんのう) 第15代天皇
比売神 (ひめがみ)
神功皇后 (じんぐうこうごう) 第14代仲哀天皇の妃、応神天皇の母
・康平6年(1063年)8月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠地とする河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮
護国寺(あるいは河内源氏氏神の壺井八幡宮)を鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に鶴岡若宮として勧請したのが始まり。
駅から直ぐのところに、新装された段葛が八幡宮へ真っ直ぐに伸びている。 大石段の先に、本宮(上宮)がある。
参拝後、解散。 ~K.S~