福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

神道は祭天の古俗(明治24年)・・12

2018-06-12 | 頂いた現実の霊験
神道は祭天の古俗(明治24年)・・12
文科大学(東京大学)教授  久 米 邦 武    

儒学仏教陰陽道の伝播
神道の日本を襁饗の裏に育成して、国体を定めて皇統を始めたるは、其最功力のある時代となりとす。然ども成長の後に、時運の進みて、大陸地に万般の学芸鬱興すれば、我国にも輸入して、環開進せざるべからず、漢の朝鮮を滅ぼし平壌に帯方郡を置く(204年)に當り、我西国より交通する者三十余国に及ひ、筑紫伊都津を開き、彼郡よりも使節館を建てれば、通譯の人もなかるべからず、漢字も講ぜざるべからず、崇神帝の末には、加羅国(四~六世紀に,朝鮮半島南部にあった多くの小国)地を献して内薥し、任那府を韓土に置れたり。此時己に祭故一致にて治むべからず、必ず漢の儒学は輸入したらん、更に遡りて考ふれば、秦人馬韓に移住して辰韓(辰韓は古代朝鮮の三韓の一。朝鮮半島の東南部に12の部族的小国家として分立していたが、のち統一されて新羅 となる)を成し、少名彦命の海を航し来りて、大己貴神と共に国を造り、医療禁厭の法を教へたる時より、漢学ははや入たるなん。 時代は書紀の紀年を舍て考ふべし、応神帝、百済より博士を召し、皇子に論語千字文を授けしめ給ひしは、儒学の宮中まで上りたるなり。其時の儒学は固りよ朱子学に非ず、亦唐の註疏にも非ず、大抵晋末に当れば、何晏(三国時代魏の政治家。『論語集解』を著した)の集解にて、修身よりは寧ろ政治学に近し、其後継体帝(継体天皇・6世紀)の朝に、五経博士を召され、天智帝以後は隋唐の学を主用せらる、皆政治学なり、神道とは其用を異にす、而して儒学の最も主張する天地の郊祀(こうし、とは、中国において天子が王都の郊外において天地を祀った祭)完廟の匡袷等は、一も用ふるなくして、猶古来の神道祭天の俗に従はれたるは其慮る所甚深し、神道を説くものゝ特に着眼すべき要點なり。然れども神道は誘善利生の教典なきにもならず、攘災招福にも欠典を感じたらん、因て漢学の伝播に従ひて、陰陽道も入たるならん。是は漢代盛んに行はれたる讖緯書(歴史の変革を占星術や暦学の知識によって予言)に本つく者なり、北史に〔百済知医薬蓍亀。与相術・陰陽五行法〕とあれば、必ず此国を経て輸入したらんと覚ゆ、紀の推古帝十年に〔百済僧勧勒来之仍貢暦本。及天文地理書。并遁甲方術之書也。是時選書生三四人。以俾学習於勧勒矣。云云。大友村主高聡学天文遁甲以成業〕(日本書紀推古天皇十年(六〇二)十月》冬十月。百済僧観勒来之。仍貢暦本及天文・地理書。并遁甲・方術之書也。是時選書生三四人。以俾学習於観勒矣。陽胡史祖玉陳習暦法。大友村主高聡学天文・遁甲。山背臣日並立学方術。皆学以成業)とあり、三代格に、陰陽道は周易・新撰陰陽書・黄金匱・五行大義等を主用す、易は五経の一にて、継体の朝已に学に立てり、緯書の伝はること必早からん。古事記及ひ書紀の一書を塾看するに、神代巻には陰陽説及ひ周時の風俗に附会したる痕跡をまゝ発見す。蓋漢学已に入り、仏教まだ伝はらぬ際に於て、緯書其他の方術を以て、未来を前知し、災害を避ることを講したる結果なるべし、是も亦一時の気運にして、久しきを経て弊れ今も民俗に存する陋習は、神道仏教よりも、陰陽説より出たる拘忌 甚多し。
儒学は只現在を論す、陰陽道の未然を知るも、誘善利生の旨に乏し、仏教の三生因果を説くは、神道の襁饗を離れて、心理を開闡するに屈強の教なり。其支那に伝播したるは、我倭奴国の使洛陽に至りし比に端を開き、神功皇后征韓の比は、已に盛んに行はれ、応神帝の比には高麗百済に流布したり、其後三韓の往来頻繁になり、筑紫中国筋に流入りたるは必す早からん。史乗に見えたるは、継体帝の朝に始まる、欽明帝戌午歳 法王帝説豦る、書紀の紀元にては宣化帝三年なり、 に至り、遂に断然と百済より仏教仏像の献を受給へり、是彼国に後るゝ百五十年なり、文明の競進より論ずれば遅鈍なりとすれども、国の舊俗を守るに厚く、急遽に外教に移らざるは、日本人の気象にして、国体の堅古なる由縁なり。仏教者は因て実相真如の体は、我熱信する天神なることを示し、本地垂跡の理を説たるを以て、衆心靡然として之に帰依し、敬神の心を移して、并せて崇仏に注き、二百年を経て敬神崇仏の国となり、仏教の糎闡(りせん)は他国に超越するに至りたるは、歴史上に於て、国の光輝と謂て可なり。仏教の入りたる後は、神社と仏寺と、並に崇敬せられて勝劣なきは、歴史に明白なり、仏に偏して神に疎なりと思ふは僻める説なり。但し仏教も久しきを経るに従ひて弊れたり、委しくは他日を待て論せん、若又神道にのみ僻し、今日まで神道のみにて推来るならば、日本の不幸は実に甚しからん。前條に挙たる大化二年の詔を一顧すべし、崇神帝以後数百年間に、神道の国民を教化したる結果は如何なるぞ、続紀神亀二年七月の詔に、〔今聞諸国神祇。社内有穢臰。及放雑畜。敬神之礼。豈如是乎。宣国司長官自執幣帛。慎致清浄、常為歳事(続日本紀・神亀二年七月の詔「戊戌、七道の諸国に詔す。冤を除き祥を祈ることは必ず幽冥に憑る。神を敬ひ仏を尊ぶことは清浄を先とす。今聞く、諸国神祇の社内に多く穢臰あり。及び雑畜を放てり。敬神の礼、豈にこの如けんや。よろしく国司長官自ら幣帛をとり慎みて清浄を致して常に歳事をなすべし。又諸寺院の限りは勤めて掃清を加へよ。仍て僧尼をして金光明経を読ましむべし。若しこの経無んには便ち最勝王経を転じて国家をして平安ならしむ也。」)〕と、又天平二年九月の詔に〔安芸国周芳国人等。妄説禍福。多集人衆。妖祠死魂、云有所祈。近京左側山原。聚集多人妖言惑衆。多則萬人、少乃数千。(続日本紀・天平二年(七三〇)九月庚辰【廿九】》○庚辰。詔曰。京及諸国多有盗賊。或捉人家劫掠。或在海中侵奪。蠧害百姓、莫甚於此。宜令所在官司厳加捉搦、必使擒獲。又安芸・周防国人等妄説禍福。多集人衆。妖祠死魂。云有所祈。又近京左側山原。聚集多人、妖言惑衆。多則万人。少乃数千。如此之徒、深違憲法。若更因循、為害滋甚。自今以後。勿使更然。又造〓多捕禽獣者。先朝禁断。擅発兵馬・人衆者。当今不聴。而諸国仍作〓籬。擅発人兵。殺害猪・鹿。計無頭数。非直多害生命。実亦違犯章程。宜頒諸道並須禁断。)

とあり、かゝる人民を開誘する為めに、唐韓諸国の皆弘むる仏教の方便に依らすして、教典さへ備はらぬ神道の古俗に任せたらば、全国今に蒙昧の野民に止まり、台湾の生蕃と一般ならんのみ。
神道の日本を育成したるは、慈母の恩あり、されども成人の後まで、永く母の左右にのみ居るべからず。総て地球諸国みな神道の中より出て、種々に変化したれども、国本を維持して、順序より進化したるは、日本のみなり。神道の時に定りたる国帝を奉して、敢て変改せず、神道の古俗を存して敢て廃棄せす、かの新陳代謝の活世界を通過し、時運にも後れさればなり、凡国には主宰者を立てゝ、政務の本を統べざるべからず、此至尊なる位は断して人事を以て定め難し、智愚賢不肖を擇まず、只其創世に当り、純に天神を信したる時に於て、神意とて定めたる君主を、国のあらん限り、永遠に奉ずべし。此外に萬古不易の国基を定むる方法はなし、日本人は天神の子孫を天日嗣に奉し、少しも心を変せず、其日嗣の天子に、悪徳の君は一代もなく、叉系統の絶える不幸にも逢はす。九世親盡たる疎遠の系統に、此位を伝う不幸にさへ逢はずして、今日に至るは、誠に人力には非し、天神の加護を忘るべからず。他国を見よ盡く人事の麤忽(そこつ・軽率)にて、一度国祚を変更したれは、帝位は国民の競事物となり、常に国基を安定するに辛苦しつゝ経過するに非すや。我国の萬代一系の君を奉するは、此地球上に叉得られぬ歴史なり。其誇るべき国体を保存するには、時運に應して、順序よく進化してこそ、皇室も益尊栄なるべけれ、国家も益強盛となるべけれ。世には一生神代巻のみを講して、言甲斐なくも、国体の神道に創りたればとて、いつ迄も其挙饗の裏にありて、祭政一致の国に棲息せんと希望する者もあり。此活動世界に、千餘百年間長進せざる物は新陳代謝の機能に催されて、秋の木葉と共に揺落さるべし、或は神道を学理にて論ずれば、国体を損ずと、憐れ墓なく謂ものもあり、国体も皇室も、此く薄弱なる朽索にて維持したりと思ふか、歴朝の烈を積み、其神道の中より出たる国を養成せられたる、百廿餘代(明治天皇は122代であった)の功徳は、染みて人心にあり、其間に他の諸国は、一度国本を変動し再び復すへからして、革命の禍を痛嘆したる歴史を経過したれば、最早皇綱は安固なり。此に観察して、益盛大富強を圖るべし。徒に大神宮の餘烈にのみ頼むは、亦秋の木葉の類なるべし。余既に神道の大本に就て、共国体と共に永遠に保存すべき綱領と、国民に浸潤したる美風とを論述したり。其他の廃朽に属する枝葉と、中世以来の謬説とは、本を振し葉を落して、本幹を傷害せざる様にすべし、是亦国家に対する緊要の務めなり。
(終わり)
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