福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

『こころの時間』のカールベッカー京大教授の言葉

2018-06-13 | 講員の活動等ご紹介

ベッカー:・・・アメリカの中西部からハワイの方に移り、そこで日系人に囲まれて勉強していると、一緒に彼らのお寺や別院などに行ったりして、少しずつ日本の仏教や生き方についてわかるようになりました。当時のハワイ人のリーダーたちは、大体二世だったんですね。日本語も英語もできて、両方の文化の良いところをわかって、しかし下手をすると日本人以上にその日本人であることに拘って大事にしていたんですね、一つのアイデンティティとして。で、いろんなご年配の方に教わって可愛がって貰って、中で一人の末期を看取らして貰ったんです。彼が、最期に奥様に対して、「長いこと付き合ってくれてありがとう。よく我慢してくれて感謝しているよ」と。倅に対して、「お前はよう頑張っているけど、ここだけに気を付けろよ」。そのお嫁さんに対して、「よくぞ来てくれた。孫のこと頼むよ」とか、釣りの友人に握手をして、「云々」と、みんなに言うべきことを言い尽くしてから息を引き取ったんです。それを見た私がビックリ仰天で、どうしてやるべきことを全部綺麗に済まして、他界できるのか、と思ったんです。特にその人が深いこれこれの信仰をしているわけではないんですが、信仰―一般的な信仰を上回るぐらいの根性、あるいは心の底力があったように思えてならなかったんです。でも彼の上を考えると、どれだけ長く生きるよりは、どれだけ潔(いさぎよ)く生きる方が日本人の知恵だったと思うんです。我々が昔の偉い人を思い出しますと、何日ほど、何年ほど生きたことか、ということをほとんど考えませんよね。その人が我々に対して、何を教えてくれたのか。何を思い出させてくれたのか、ということの方が大事なんです。だからそのハワイ二世の方に点滴を付けて、さらに彼の命を数日、数週間長引かしたとしても、それでさらに綺麗な死に方ができたとは到底思えません。むしろ多くの彼の死を拝見した我々が感銘を受けて、願わくばそのようにいきたいなと思えるようになるんです。その死に方を可能にしたのは、確かに彼の大家族の支援であったり、友人との友情であったり、また病院は強制的に点滴をしないという背景もいろいろあったんですが、その文化的な底力をさらに知りたくて、だから研究としましても、個人の関心事としましても、日本には非常に興味を持っていたんですね。

  ・・日本人が、大体平安末期ぐらいから幕末期ぐらいまでは、一千年以上にわたってどのように死んでいたのかという記録を残しているんです。インドや中国でも残しているんですが、日本ほど保存状態がよくなかったりして、要するに日本人の死に様の変遷を一千年に亘ってどう変わったかということを知りたければ、日本ほど理想的な研究現場はないんです。それが俗に言う『往生伝』,
往生というのは亡くなることで、その伝説の伝ではありますが、当時のお寺の僧侶たちが、亡くならんばかりの自分の檀家さん、門徒さんなどに対して、「何が見えるか、何が聞こえるか、何かあったら教えてください」と言って、その中でその台詞―言われていることを記憶して、部分的にそれが印刷にまで残されているわけです。・・

 
 ・・日本の伝統的な理想は、潔く納得できるような、人生を真っ当するような死に方だった、と思うんです。つまりやるべきことを残さず、名残を惜しまず、周囲に迷惑を掛けない死に方でもあるのです。そのためには、ある人が離れ家に入ったら、ある意味で隠居して、自分が長くないとわかった時に、その心を調えるために行(ぎょう)を組み出すという例もありますし、また有名な一遍上人(いっぺんしょうにん)(鎌倉時代中期の僧侶で時宗の開祖:1859-1939)の融通念仏の伝教者なんですが、一遍上人が亡くなられる前に、自分のさまざまな書物や弟子たちの集めているものを燃やさせるんですね。自分のものに束縛されたくない。また人にそれ以上、自分の名残を惜しんで欲しくないという思いもあったと思うんですが、その代わりに非常に穏やかな顔で亡くなるべき時に亡くなったというんです。またその昔ならば阿弥陀像などに五色の糸を繋いで、片手でそれを持ちながら、お念仏を称えるとかという慣習があったんですが、明らかに大事なのは、その糸が物理的にあるのか何なのかではなくて、心の中で準備ができているかどうかということだと思うんですね。

  ・・昔の人は、「死が決してすべての終わりではない」ことをわかっていたからだと思うんです。死は確かに大きな別れではあります。ですが、喩えていうならば、「三途(さんず)の川」であって、いずれ誰もが越える川であるというふうに理解すると、ある人が先に行って我々が後に行くかも知れませんが、いずれまた向こう側で再会できると思うと、死が恐ろしいだけではなくて、一つのやむを得ない大きな出発でもあります。喩えていうならば、中学校から高校に卒業していくようなもので、そこで新しい仲間であって、新しい自然があるのかも知れませんが、決して無になるわけではありません。物質だけを見ていると、死がすべての終わりのように見えるかも知れませんが、生きていることは、精神・心・魂を中心にするものであるとわかっていれば、身体が亡くなったからと言って、別に心や魂が消えるわけではないことを、昔の人はよく知っていたんです。

    ・・・日本の死についての生活習慣は、一時というか、私が七、八十年代までアメリカと日本に行き来したりして、両側で死の作法とか慣習を研究している時に、一時バカにされた時期もあった。何で食べ物までお墓に供えるかとか、何で繰り返しこの儀式を、法事などを行うのかということを言われたんですが、最近それがかなり見直されるようになりました。死を無視して、なかったことにして、「忘れろ」そういうドグマというか、それこそ宗教的な信仰が、つい百年前にできたんです。シグムント・フロイト(オーストリアの精神分析家、精神科医。人間の無意識に注目し精神分析を創始した:1856-1939)とが、なかなか癒せない未亡人たちを相手にした時に、「もうとにかく忘れろ、これ以上拘っては病理的だよ」と称えて、死を忘れられないものが病人だ、というぐらいレッテルを貼られたんです。で、その以降ヨーロッパは、特に第一次、第二次世界大戦が勃発して、何百万単位の死者が出たところで、日本と一緒で、一時的に死はこれ以上考えたくない、触れたくないという時期はあったんですが、ですが考えたくなくても考えてしまうんです。大事な人が亡くなった場合。このフロイト的な死者を考えても、病理的に考えちゃいけないというドグマに対して、変化が生じたのは、日本のお陰なんです。二十年ぐらい前に、デニス・クラス(アメリカの宗教心理学者:1940-)というシカゴ大出身の宗教心理学者が日本に来られて、いろんな日本の家を廻られて、そこでお仏壇とか祭壇とか先祖さんの写真とかを見るんですね。そこで日本人に聞いてみると、「これどう使うんですか?何に使うんですか?」と聞くと、朝に、「行って来ます」と言って、夜に「只今」と言って、彼らにも、お水やら、御飯やら、お酒やらを捧げて、そして大事な契約、面談・縁談などの時には、「父さん、ばあちゃん、見守ってくださいね。どうすればいいの」。静かに心の中で、父さんやおばあさんの声、態度などが見えてくる。すると、その面談や縁談に向かって、上手にこなして帰って来たら、「ばあちゃん、父ちゃん、ありがとう」と言える。この姿を見たクラス先生が、目から鱗だ、というんです。我々はアメリカ人なんぞが、まるで前の世代がなかったかのようなふりをさせられて、独自で何もかも「自分で考えなければいけない」と言われるんですが、でもせっかく父さんやおばあちゃんの生き様、知識、声なども知っているんだから、それを心に聞いて、それを基づいて生きるのが文明ではないか。英語で、彼がそれを、「continuing bonds(続く絆)」ボンズは接着剤ですよね。心の中で、おじいさん、おばあちゃん、父ちゃんの生き方、アドバイス、心が聞けるということが、人類にとって非常に貴重な資源であって、知恵であって、これがむしろ我々が活かせないと損だ。アメリカ人もヨーロッパ人も、「そうだ、そうだ。我らもそういう感覚が、思っていたんだけど口に出せなかった」。それでも日本人は羨ましい。何故なら日本人は既にその祭壇、仏壇などの慣習があって、その場、その心の定め方をわかっているから、もっと我々が真似しなきゃ。西洋東洋を問わず―東西を問わず、大事な人に死なれてしまうと、一、二年も経たないうちに、いろんな不幸が襲ってきます。例えば事故だの、病気だの、精神異常だの、最悪の場合は鬱や自殺まで起こりやすいんです。・・
 遺族に、残された方に、これが起こりやすいんです。で、今我々がそれを例えば免疫力の低下とか、精神統一不足で交通事故の原因となったとかという理解もできるんですが、昔の日本人がそれを「祟(たたり)」と言っていたんです。あの世から鬼がやって来て、十分なお供えとか、十分な儀法をやっていない人たちに対して、何か悪いことを起こしてしまう。祟りなどを信じていなくても、実は欧米においても最近日本人の慣習が真似をさせています。どういうふうにか、と言うと、ある病院で本人患者自身が長くないとわかった時点で、毎月のようにパーティーを行います。そのパーティーに、どうせ死ぬんだから何を飲もうが食べようが自由で、持ち寄せの物を飲んだり食べたりして、一緒に泣いたり笑ったり黙り込んだり握手したりして、そして本人がいなくなってからも、同じ仲間や家族を呼び寄せて、毎月数回ほどその儀式を続けます。その慣習がどこからきているかというと、日本の宗派によって呼び名などが違ったりするんですが、例えば初七日、四十九日、初盆、一周忌など定期的に親戚や友人などを集めて、一緒に話し合ったり、笑ったり、泣いたり、亡き故人のことを思い出したりすることによって、心の整理、精神統一ができて、それによって昔でいう「祟(たたり)」―今でいう「免疫低下」や、あるいは「鬱」などを避けられて、日本が上手くできていたんですね。だからその儀式は単なる儀式ではなくて、非常に機能的な意味があったわけでして、お墓やお仏壇などを通じて、ご先祖さまの知恵を借りることが、日本人の知恵の一つであって、また繰り返し集まって、亡くなった人のことを話して納得するまで冥福を祈ることも、それなりの日本の知恵だったのと違いますか。 ・・・

 

 

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