最近の高位高官の人々の恥ずかしい女難の記事を見るにつけて以下のような記事を編集しました。(私自身も現役の時様々な危機に遭遇していますが、観音様や御大師様ご先祖さまを拝んでいたおかげで無難に過ごすことができました。)
・(最上授所問経)「異性を見たならば、次の三つの思いを起こすべし。異性は戒の障害である。異性はサマーディの障害である。異性は智慧の障害である。」
・(月上童女所問経)には、次のように説かれている。 「もろもろの人々が愛欲に親しみ近づいているのを見て、月上童女は空中に昇り、人々に言った。『汝ら、黄金色に輝くわが身体を見よ。心が欲を離れたが故に、このような清浄な身体を得たのである。 愛欲に耐え、感覚器官を調御し、清らかな禁欲行を修める者は、女性を見てもみな母や妹であると見る。それによって後に端正なる身体を得、人々は彼を見て常に喜ぶようになる。私の毛穴から生ずる素晴らしい香りは国中に漂うが、これは愛著を離れた心より生じているのである。
汝は過去世において、わが父であった。私は過去世において、汝の母であった。お互いにお互いの父母であったことが何度もあるのだ。なにゆえに愛欲を生ずべきか。・・
愛著の心があると、美しい身体を得ることはできない。愛著があると、悪趣に落ちる。愛著があると輪廻から解放されない。ゆえに愛著を捨てるべし。
愛欲愛著により、速やかに三悪趣に落ちる。あるいは盲目、聾唖、醜い身体等、世間のもろもろの過患は、愛欲愛著のためである。あるいは転輪王、インドラ神、マハーブラフマ神などに至るのは、禁欲をし、広く神聖なる修行を修めるが故である。または、愛欲に染まることを願う者は、象、馬、牛、虎、ラクダ、イノシシ、犬などとして生まれる。
王族、長者等の富者となるのは、広く禁欲行を行なった故である。
もしくはつながれ、幽閉される難、水難、火難、あるいは目や耳や手足を切られること、奴隷となること、これらは皆、愛欲愛著のためである。』」
・ (日子王所問経)「異性を楽しむ迷妄なる者は、もろもろの暗闇に覆われ、魔の境界に住し、死後は悪趣に落ちる。大便に執着する虫の如く、けがれた愛欲に執着してそれを楽だと思う。 人は、体中の穴から、悪しき臭いの不浄物を流す。愚か者はこのような肉体にとらわれ、肉体のけがれを認識しない。まさにそれは、ハエが不浄物に執着するがごときものである。そして死後は地獄に落ち、もろもろの大苦を受ける。
異性の身体は、臭いものの中でも、極めて悪臭のものである。ゆえに、そのような下劣なものに対する執着の思いを破れ。」
・釈雲照師「十善業道経講義」「非梵行を離れて(非梵行を離れてとは不邪淫ということ)しかも施を行ずるがゆえに常に財宝に富みて能く侵奪するものなく、その家直順にして、母および妻子をよく欲心をもって見るものあることなし」(梵行とは梵天の行である。梵天は初禅天に居る神じゃ。(欲界の上の)初禅天以上は男女の色情がない。淫慾、貪欲、睡眠欲等の欲のある世界を欲界という。これがなくなると色界という梵天の住処になる。十善をもって土台とし、その上に施波羅蜜即ち布施慈善をする。それより生ずる財宝は極めて堅固なものであって能く侵し奪うものがない。掠め取るものがないこれが誠の富者じゃ。なおその余響としてその家、直順にして母および妻子を能く欲心をもってみるものあることなしととある。・・仏法の因果の道理は有難いものだと信じたら生々世々不邪淫戒を保ち布施慈善をせねばならぬようになるのみならず、一切衆生に対してもそうあらせたい・・一切衆生と共に持戒して清浄を得とうございますと、ここに信念をおくわけじゃ。源が深いと末が大きゅうなる。君子はその本を務るじゃ。(論語・学而第一に「君子は本(もと)を務む。本立ちて道生ず。孝弟なる者は其れ仁を為すの本か。」とあり。)
・(十善戒を守るのは難しいとの意見があるが破戒の方が実は難しい)「邪淫も・・父母の心を欺き国の法律をくぐり、他人の眼を忍ぶにあらざればこれをなしがたきことなり。不邪淫戒を保てば家常に安く、交友もみずから安く、悠然としておられる。(仏教大原理(釈雲照))」
・檀林皇后は世に類なき麗人であったといわれ嵯峨天皇が親王の時に入侍し、即位後の大同4年(809年)6月に夫人となり、嵯峨天皇との間に仁明天皇(正良親王)・正子内親王(淳和天皇皇后)他2男5女をもうけていますが、仏教への信仰が篤く、嵯峨野に日本最初の禅院檀林寺を創建したことから檀林皇后と呼ばれるようになっています。落飾もされています。世に類なき麗人であったため僧侶を含む多くの人を迷わせたといわれますが仏教に深く帰依されて、京の帷子辻において遺体が腐乱して白骨化していく様子を人々に示されてその様子を九相図として描かせたと伝わります。
・観音経には愛欲から逃れさせてくださるという観音様の誓願があります。観音経を読誦して「おんあろりきゃそわか」とお唱えすれば愛欲地獄から抜けることができます。
「由是菩薩威神力故。若為大水所漂。称其名号。即得浅処。」
「是の菩薩の威神力に由るが故に。若し大水に漂わされんに、其の名号を称せば、即ち浅き処を得ん。(七難の内第二難がこの水難。水は愛欲を表す、南無観世音菩薩と唱えれば愛欲の難からも逃れることができる)」