「お釈迦様はなぜ自ら教えを書き残されなかったのか?またお大師様はなぜ著作を書き残されたのか?」という問いにお答えします。
まず「大智度論」にはお経は誰が書いたかを示していました。「佛法に五種の人の説あり、一には佛自らの口説、二には佛弟子の説、三には仙人の説、四には諸天の説、五には化人の説なり(大智度論巻二)」とあります。そもそも当初からお経は佛様以外の方の説もあると認めているのです。しかもお釈迦様の場合も「自らの口説」とあります。つまりお釈迦様は自らはお経をお書きになってはいない、お話になっただけだと最初から認めているのです。
そこでなぜお書きにならなかったかです。
結論はお釈迦様はバラモン教の「神の啓示を示す経典は文字にしない」という伝統や、衆生への対機説法のため文字をお使いにならなかったと考えられ、これに対しお大師様は「聲字實相義」でお述べになっているように、「聲字は実相」であるとの密教の立場から多くの教えを残されたのだと思います。(参考までに、密教経典は大智度論の説の中では「化人の説」にはいります。)
1、 お釈迦様が教えを書き残されなかった理由
「大法輪」昭和59年7月号の駒沢大田上太秀教授や「仏教経典の世界」(自由国民社)によれば、
・ お釈迦様の時代、文字は俗世の用件のために用いるものと考えられていた。
・ バラモン教でもヴェーダ経典は文字にすると神聖さを冒涜されると考えられていた。
・ お釈迦様の言葉を文字に残すことも破損、散逸等の恐れがあった。
・ お釈迦様は文盲の下層民にも説教されたため文字は意味が無かった。
・ お釈迦様は弟子たちに各地の方言で説法するように命ぜられた。と書かれていました。
2、さらにすすんで入楞伽経巻五には「大慧。我依此義於大衆中作如是説。我何等夜得大菩提。何等夜入般涅槃此二中間不説一字。」と説き、北本涅槃経巻二十には「如来雖為一切衆生演説諸法。実無所説」とあります。これらをうけて無門関(世尊拈花)には「世尊、昔霊山会上に在りて、花を拈じ衆に示す、是の時衆皆な黙然たり、惟だ迦葉尊者のみ、破顔微笑す。世尊云く、吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門、不立文字、教外別伝有り、摩訶迦葉に付嘱す。」とあり、
碧眼録巻一には「達磨遥かにこの土を観るに、大乗の根器あり。遂に海に泛んで得々として来り、心印を単伝し、迷途を開示す、不立文字直指人心見性成佛なり。」とあります。禅宗では心を持って心に伝えるとされました。
2、 しかし一転して密教では「声字実相」といいます。高野山金山穆韶管長は哲学者柳田謙十郎との共著「日本真言の哲学」で「聲字實相義」について「顕教にあっては声字は有為の法であって無常であり、これに対して実相は無為常住なものであるとなし、これによって声字と実相との間に真妄の区別を設け、実相第一義諦の妙境に至っては声字を絶し、声字をもって詮示しすべからざる自証の境界であるという。しかるに真言宗にあっては法身大日如来の三密は平等に全法界に周遍するものであるから、色声香味触法の六塵の当体が、すなわち法身の三密であるゆえんの理を明らかにし、声字実相の實義を開示し、もって声字真言の観誦により実相世界を体得する深旨を説く。・・」と書いておられます。
3、 ここまでくるとお釈迦様が自ら教えを書き残されたかどうかはそんなに本質的ことではなくなってくるのかもしれません。すべてのものが相互に説法している自受法楽の世界で「声字即実相」すから。
お大師様はこのたちばでいろいろの著作を残されているということでしょう。
まず「大智度論」にはお経は誰が書いたかを示していました。「佛法に五種の人の説あり、一には佛自らの口説、二には佛弟子の説、三には仙人の説、四には諸天の説、五には化人の説なり(大智度論巻二)」とあります。そもそも当初からお経は佛様以外の方の説もあると認めているのです。しかもお釈迦様の場合も「自らの口説」とあります。つまりお釈迦様は自らはお経をお書きになってはいない、お話になっただけだと最初から認めているのです。
そこでなぜお書きにならなかったかです。
結論はお釈迦様はバラモン教の「神の啓示を示す経典は文字にしない」という伝統や、衆生への対機説法のため文字をお使いにならなかったと考えられ、これに対しお大師様は「聲字實相義」でお述べになっているように、「聲字は実相」であるとの密教の立場から多くの教えを残されたのだと思います。(参考までに、密教経典は大智度論の説の中では「化人の説」にはいります。)
1、 お釈迦様が教えを書き残されなかった理由
「大法輪」昭和59年7月号の駒沢大田上太秀教授や「仏教経典の世界」(自由国民社)によれば、
・ お釈迦様の時代、文字は俗世の用件のために用いるものと考えられていた。
・ バラモン教でもヴェーダ経典は文字にすると神聖さを冒涜されると考えられていた。
・ お釈迦様の言葉を文字に残すことも破損、散逸等の恐れがあった。
・ お釈迦様は文盲の下層民にも説教されたため文字は意味が無かった。
・ お釈迦様は弟子たちに各地の方言で説法するように命ぜられた。と書かれていました。
2、さらにすすんで入楞伽経巻五には「大慧。我依此義於大衆中作如是説。我何等夜得大菩提。何等夜入般涅槃此二中間不説一字。」と説き、北本涅槃経巻二十には「如来雖為一切衆生演説諸法。実無所説」とあります。これらをうけて無門関(世尊拈花)には「世尊、昔霊山会上に在りて、花を拈じ衆に示す、是の時衆皆な黙然たり、惟だ迦葉尊者のみ、破顔微笑す。世尊云く、吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門、不立文字、教外別伝有り、摩訶迦葉に付嘱す。」とあり、
碧眼録巻一には「達磨遥かにこの土を観るに、大乗の根器あり。遂に海に泛んで得々として来り、心印を単伝し、迷途を開示す、不立文字直指人心見性成佛なり。」とあります。禅宗では心を持って心に伝えるとされました。
2、 しかし一転して密教では「声字実相」といいます。高野山金山穆韶管長は哲学者柳田謙十郎との共著「日本真言の哲学」で「聲字實相義」について「顕教にあっては声字は有為の法であって無常であり、これに対して実相は無為常住なものであるとなし、これによって声字と実相との間に真妄の区別を設け、実相第一義諦の妙境に至っては声字を絶し、声字をもって詮示しすべからざる自証の境界であるという。しかるに真言宗にあっては法身大日如来の三密は平等に全法界に周遍するものであるから、色声香味触法の六塵の当体が、すなわち法身の三密であるゆえんの理を明らかにし、声字実相の實義を開示し、もって声字真言の観誦により実相世界を体得する深旨を説く。・・」と書いておられます。
3、 ここまでくるとお釈迦様が自ら教えを書き残されたかどうかはそんなに本質的ことではなくなってくるのかもしれません。すべてのものが相互に説法している自受法楽の世界で「声字即実相」すから。
お大師様はこのたちばでいろいろの著作を残されているということでしょう。