天仁元年(1108)十月四日大僧都厳覚より伝法灌頂を受ける
「勧修寺聖教」に「・・当流者寛信法務、天仁元年1108十月四日、斗宿・月曜、勧修寺勝福院に於いて厳覚大僧都に随て(伝法灌頂)入壇云々・・」
寛信は、参議大蔵卿藤原為房の息。勧修寺流祖。東大寺覚樹に三論教学を学び、勧修寺厳覚から小野流を受法。1110年(天永元年)勧修寺別当に就任し、勧修寺における法華八講の整備に力を注いだ。南都三会已講の功により1134年(長承3年)権少僧都。1142年永治二年後七日御修法を行ず。東寺長者・法務、東大寺別当。学は顕密を兼ね、三論・華厳の秘奥を極める。真言密教における事相に関する多くの著作を残した。厳覚から受けた小野流から勧修寺流を立てた。小野類秘鈔七巻、視聴記、類顕鈔等。
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