地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の13/16
十三、蔵滿蘇生の事
大和の笠置の窟の住僧蔵滿房は東大寺の文蔵上人の弟子なり。幼年の昔京都にて相人の登照が見て此の児年齢二十三にて死せんとぞ申れき。父母此の旨を聞きて一入に哀れみしが所詮沙門になりて菩提心を発し延命を祈るべしとぞ勧めける。宿習にやありけん勇進んで或僧を頼みて剃髪して其の後東大寺にて文蔵を本師と定めけるとなん。されば壽命の長短は皆宿因感果なり何ぞ怨む事かあるべきと勇猛精進して三時の行業六時の礼讃一座の斉食にて一向に地蔵を念じける。平日唯頭燃を拂が如くして臨終を待ちけり。去る程に年移り徐(やうや)く三十三になりぬ。其の後四月俄かに中風の病を受けて身心安らかならず。数日煩ひけるが遂に滅を唱へ、死門に入りけり。時に青衣の官人三人出て大に蔵滿を瞋って打伏して縛り搦て呵責せしむ。蔵滿音(こへ)を揚げて大に叫びて曰く、吾は是浄行真言の行人なり。何の罪ありて角は行ひけるぞ、昔雄俊(8世紀唐の僧侶。七度も出家と還俗を繰り返しながらも往生を遂げたという。戒律をたもつことは不得手であったが講説することは得意で講説で得た布施を無断で使用するという悪行を重ねたため、死後、閻魔王によって地獄に落とされようとしたとき「『観経』の下下品には五逆罪を犯した者でも臨終の十念で往生できると説かれている。自分は生前確かに罪は犯したが五逆罪までは犯しておらず、しかも称名念仏はその数が量り難いほどである。もしも自分が地獄に落ちるようなことがあれば、三世諸仏が妄語したことになる」と主張した。これを聞いた閻魔王は道理に折れて雄俊を西方浄土へ往生させたと言われている。)は極悪無道の犯人にして七度還俗したりしすら最後の一念の称名に依りて衆罪霜露の如く消へ無間の炎変じて清涼の風涼しく吹いて速やかに往生浄土の素懐を遂ぐ。況や一向地蔵薩埵を念ずる専修の行人なり。争で吾を呵責せんと云ければ、鬼王ども猶自業自得の道理と云て強て悪道に堕せんとぞ巧みける。爰に相好端厳にして容貌美麗の小僧巍巍として来たり給ふ。僧三十餘人を従へり。何(いずれ)も合掌して来たり玉ふ。時に、冥官鬼王共に大に怖れ各々呵責の器杖を捨てて手を合わせ跪きぬ。菩薩の曰く此の僧は大功徳の行人なり。南方世界の菩薩衆も此に来迎し玉へり。汝等呵責を加ることなかれとの玉へば鬼王ども忽然として失せにける。時に上首の僧、蔵浦に向て曰く、吾は是地蔵薩埵なり。汝が信力の堅きによりて汝を守衛して捨てず。汝本國に皈りて永く苦輪を出て成等正覚ならんことを求むべし。彼の方へ行くべしとて指て路を教へ玉ふと思へば夢の心地して活(いき)ぬ。此のありさまを人に語りて悪法を制し地蔵の利生の莫大なることを勧めける。自身は弥よ勇猛精進して菩薩を念じ歳九十三にして滅を唱へ侍る。紫雲山を埋め異香室に満てり。未来の引導頼母敷くぞありける。されば彼の經の中に壽命長遠の福を得べしと、誠なる哉(仏説延命地蔵菩薩経「亦是菩薩は十種の福を得しむ。一は女人泰産、二は身根具足、三は衆病悉除、 四は寿命長遠、五は聡明智慧、六は財宝 盈溢、七は衆人愛嬌、 八は穀米成熟、 九は神明加護、十は證大菩提」)。如来の金口徒然ならず。今の蔵滿が事即ち是なり。誠に今世後世能く引導す有り難き悲願なり。