福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は和布刈神事の日です。

2019-12-31 | おすすめ情報
今日は和布刈神事の日です。
北九州市和布刈神社冬至と関門海峡を隔てた対岸の住吉神社で旧暦12月晦日から元旦にかけて和布刈神事がおこなわれます。深夜午前1時から3時ごろ干潮時に神職3人が正装し、鎌と松明を持って海中に入り、和布を刈り取って神前に供える行事。神功皇后は安曇磯良神(あずみいそらのかみ)が海中より献上した如意宝珠を使って三韓を征したが()、皇后が磯良神より潮干・潮満の法を学んだ遺風を伝えるのがこの神事といいます。


注)太平記巻三十九神功皇后攻新羅給事 に
「昔し仲哀天皇、聖文神武の徳を以て、高麗の三韓を攻させ給ひけるが、戦利無して帰らせ給ひたりしを、神功皇后、是智謀武備の足ぬ所也とて、唐朝へ師の束脩の為に、沙金三万両を被遣、履道翁が一巻の秘書を伝らる。是は黄石公が第五日の鶏鳴に、渭水の土橋の上にて張良に授し書なり。さて事已に定て後、軍評定の為に、皇后諸の天神地祇を請じ給ふに、日本一万の大小の神祇冥道、皆勅請に随て常陸の鹿島に来給ふ。雖然、海底に迹を垂給阿度部の磯良一人不応召。是如何様故あらんとて、諸の神達燎火を焼き、榊の枝に白和幣・青和幣取取懸て、風俗・催馬楽、梅枝・桜人・石河・葦垣・此殿・夏引・貫河・飛鳥井・真金吹・差櫛・浅水の橋、呂律を調べ、本末を返て数反哥はせ給たりしかば、磯良感に堪兼て、神遊の庭にぞ参たる。其貌を御覧ずるに、細螺・石花貝・藻に棲虫、手足五体に取付て、更に人の形にては無りけり。神達怪み御覧じて、「何故懸る貌には成けるぞ。」と御尋有ければ、磯良答て曰く、「我滄海の鱗に交て、是を利せん為に、久く海底に住侍りぬる間、此貌に成て候也。浩る形にて無止事御神前に参らんずる辱しさに、今までは参り兼て候つるを、曳々融々たる律雅の御声に、恥をも忘れ身をも不顧して参りたり。」とぞ答申ける。軈て是を御使にて、竜宮城に宝とする干珠・満珠を被借召。竜神即応神勅二の玉を奉る。神功皇后一巻の書を智謀とし、両顆の明珠を武備として新羅へ向はんとし給ふに、胎内に宿り給ふ八幡大菩薩已に五月に成せ給ひしかば、母后の御腹大に成て、御鎧を召るゝに御膚あきたり。此為に高良明神の計として、鎧の脇立をばし出しける也。諏防・住吉大明神を則副将軍・裨将軍として、自余の大小の神祇、楼船三千余艘を漕双べ、高麗国へ寄給ふ。是を聞て高麗の夷共、兵船一万余艘に取乗て海上に出向ふ。戦半にして雌雄未決時、皇后先干珠を海中に抛給しかば、潮俄に退て海中陸地に成にけり。三韓兵共、天我に利を与へたりと悦て、皆舟より下、徒立に成てぞ戦ひける。此時に又皇后満珠を取て抛給しかば、潮十方より漲り来て、数万人の夷共一人も不残浪に溺て亡にけり。是を見て三韓の夷の王自罪を謝て降参し給ひしかば、神功皇后御弓の末弭にて、「高麗の王は我が日本の犬也。」と、石壁に書付て帰らせ給ふ。是より高麗我朝に順て、多年其貢を献る。古は呉服部と云綾織、王仁と云才人、我朝に来りけるも、此貢に備り、大紋の高麗縁も其篋とぞ承る。其徳天に叶ひ其化遠に及し上古の代にだにも、異国を被順事は、天神地祇の力を以てこそ、容易征伐せられしに、今無悪不造の賊徒等、元朝高麗を奪犯、牒使を立させ、其課を送らしむる事、前代未聞の不思議なり。角ては中々吾朝却て異国に奪るゝ事もや有らんずらんと、怪しき程の事共也。されば福州の呉元帥王乙が吾朝へ贈りたる詩にも、此意を暢たり。日本狂奴乱浙東。将軍聴変気如虹。沙頭列陣烽烟闇。夜半皆殺兵海水紅。篳篥按哥吹落月。髑髏盛酒飲清風。何時截尽南山竹。細写当年殺賊功。此詩の言に付て思ふに、日本一州に近年竹の皆枯失るも、若加様の前表にてやあらんと、無覚束行末也。
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