孫の可愛い寝顔をみていると最近の中国の不審な動きが心配でなりません。この孫がおおきくなるころ日本はどうなっているのだろう、きな臭い時代に生きなければならなくなるのではないかと心配一入です。
ところで仏教はこういう時、無抵抗主義を貫くのかどうかが以前から心配の種でした。調べてみると、結論は自衛戦争は許されているということでした。
1、まず、こういう他国に侵犯される事態になる原因が色々なお経に書いてあります。護国経典といわれる経典には金光明経、大般若経、仁王経、金剛般若経、法華経、大集経、薬師経などがありますが、ほとんどの経典に災害(他国侵逼の災いを含む)はその国の衆生の乱れに依りおこる、とされています。有名なのが不空訳「仁王般若経(奉持品)」で、ここには衆生が正法を行じない時には七難が起こるとしてその七番目に「四方の賊来たりて国の内外を侵し」とあります。栄西の『興禅語国論』、日蓮の『立正安国論』等も蒙古襲来を前に同趣旨で書かれていることは周知のとおりです。
2、しかし更に事態が一歩進んで現実に他国に侵略されそうになったときには自衛戦争は仏教で許されるのでしょうか。許されるということです。大方廣佛華嚴經卷第十一 入不思議解脱境界普賢行願品には「他国に対して善く説くも聞かざれば、王師により討伐す」とあります。また大薩遮尼乾子所説経には「国王は戦争開始前にいろいろ手だてを講じて忌避につとめるがなお無理な場合は戦争に入るがそこでも、諸々の衆生を守る、敵を降伏させ無益な殺生をしなくてよいように、敵兵は生け捕りにして殺さない、の三種の慈悲心を生じて開戦する。そして兵には王に対して報恩することなどを念じさせて戦うがこうして戦った場合は相手国の衆生を殺害しても罪にはならない。」とあります。
3、しかし開戦して負けては意味がありません。勝つ手立てはあるのでしょうか。妙法蓮華経観世音菩薩普門品には「蚖蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋声自回去、雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散 衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」等と説かれ、観音様を念ずれば、害を加えようとするものに危害が反対に返っていくとされています。さらに積極的に密教では鎮護国家の修法が多くあります。天台系では熾盛光佛頂法(除災。本尊は熾盛光曼荼羅。北極星の熾盛光佛頂を中心に八大菩薩、四大明王、十二大天、十二天宮、二十八宿などを円形に配したもの。)七佛薬師法(七佛薬師を本尊として息災増益のために修する。)、普賢延命法(普賢延命菩薩を本尊とし、増益延命を祈る)、安鎮国家法(二臂不動明王と八方に四臂不動を配する安鎮曼荼羅を本尊とし、家宅を鎮護するもの)、鎮将夜叉法などがあるとされます。
一方真言宗では後七日御修法の他に七箇大法とされる請雨経、孔雀経、仁王経、守護経、大元、法華、普賢延命法に五大虚空蔵法、大北斗法や五箇大法の一つである最勝王法などを加えたものが護国の修法とされます。 密教辞典では、鎮護国家の項には「密教は特に鎮護国家を重んじ、後七日御修法・仁王経法、守護経法、大元帥法、二間観音供(大師が嵯峨天皇に大師御請来の観音を献じこれを天皇が宮中二間に配したまふによる)等鎮護国家のために修する方を伝え朝夕例時の勤行にも其の祈願を怠らず。・・・」とあります。
4、実際、蒙古襲来の時には内裏で「佛眼法」、延暦寺、東寺で「七佛薬師法」石清水八幡で「最勝王経」、東大寺で「大般若転読」等ほとんどの社寺仏閣で怨敵退散の修法が行われといいます。さらに弘安二年、蒙古の襲来時には鎌倉幕府は高野山に異国調伏の御教書を発し、高野山南院の院主賢隆と長任は波切不動を奉じて戦い最前線の志賀の島に赴き、五壇大秘法をとりおこなっており、いまも志賀の島の中腹には火炎塚という護摩壇跡があるということです。(この波切不動様は御大師様の帰国のおりに波を切って嵐を鎮め、平将門の乱に際してもこれを鎮圧したという霊験あらたかなお不動様です。)
5、ただこれらの事態になる前に僧俗それぞれ行いを法にのっとったものにすることが大切であることは言うまでもないと思います。いままでのように弛緩しきった生活を緊張感を以て一人一人が改めることこそ大切とおもい子や孫の為、後世の人々の為にも自らを戒めたいと思わせられました。
ところで仏教はこういう時、無抵抗主義を貫くのかどうかが以前から心配の種でした。調べてみると、結論は自衛戦争は許されているということでした。
1、まず、こういう他国に侵犯される事態になる原因が色々なお経に書いてあります。護国経典といわれる経典には金光明経、大般若経、仁王経、金剛般若経、法華経、大集経、薬師経などがありますが、ほとんどの経典に災害(他国侵逼の災いを含む)はその国の衆生の乱れに依りおこる、とされています。有名なのが不空訳「仁王般若経(奉持品)」で、ここには衆生が正法を行じない時には七難が起こるとしてその七番目に「四方の賊来たりて国の内外を侵し」とあります。栄西の『興禅語国論』、日蓮の『立正安国論』等も蒙古襲来を前に同趣旨で書かれていることは周知のとおりです。
2、しかし更に事態が一歩進んで現実に他国に侵略されそうになったときには自衛戦争は仏教で許されるのでしょうか。許されるということです。大方廣佛華嚴經卷第十一 入不思議解脱境界普賢行願品には「他国に対して善く説くも聞かざれば、王師により討伐す」とあります。また大薩遮尼乾子所説経には「国王は戦争開始前にいろいろ手だてを講じて忌避につとめるがなお無理な場合は戦争に入るがそこでも、諸々の衆生を守る、敵を降伏させ無益な殺生をしなくてよいように、敵兵は生け捕りにして殺さない、の三種の慈悲心を生じて開戦する。そして兵には王に対して報恩することなどを念じさせて戦うがこうして戦った場合は相手国の衆生を殺害しても罪にはならない。」とあります。
3、しかし開戦して負けては意味がありません。勝つ手立てはあるのでしょうか。妙法蓮華経観世音菩薩普門品には「蚖蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋声自回去、雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散 衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦」等と説かれ、観音様を念ずれば、害を加えようとするものに危害が反対に返っていくとされています。さらに積極的に密教では鎮護国家の修法が多くあります。天台系では熾盛光佛頂法(除災。本尊は熾盛光曼荼羅。北極星の熾盛光佛頂を中心に八大菩薩、四大明王、十二大天、十二天宮、二十八宿などを円形に配したもの。)七佛薬師法(七佛薬師を本尊として息災増益のために修する。)、普賢延命法(普賢延命菩薩を本尊とし、増益延命を祈る)、安鎮国家法(二臂不動明王と八方に四臂不動を配する安鎮曼荼羅を本尊とし、家宅を鎮護するもの)、鎮将夜叉法などがあるとされます。
一方真言宗では後七日御修法の他に七箇大法とされる請雨経、孔雀経、仁王経、守護経、大元、法華、普賢延命法に五大虚空蔵法、大北斗法や五箇大法の一つである最勝王法などを加えたものが護国の修法とされます。 密教辞典では、鎮護国家の項には「密教は特に鎮護国家を重んじ、後七日御修法・仁王経法、守護経法、大元帥法、二間観音供(大師が嵯峨天皇に大師御請来の観音を献じこれを天皇が宮中二間に配したまふによる)等鎮護国家のために修する方を伝え朝夕例時の勤行にも其の祈願を怠らず。・・・」とあります。
4、実際、蒙古襲来の時には内裏で「佛眼法」、延暦寺、東寺で「七佛薬師法」石清水八幡で「最勝王経」、東大寺で「大般若転読」等ほとんどの社寺仏閣で怨敵退散の修法が行われといいます。さらに弘安二年、蒙古の襲来時には鎌倉幕府は高野山に異国調伏の御教書を発し、高野山南院の院主賢隆と長任は波切不動を奉じて戦い最前線の志賀の島に赴き、五壇大秘法をとりおこなっており、いまも志賀の島の中腹には火炎塚という護摩壇跡があるということです。(この波切不動様は御大師様の帰国のおりに波を切って嵐を鎮め、平将門の乱に際してもこれを鎮圧したという霊験あらたかなお不動様です。)
5、ただこれらの事態になる前に僧俗それぞれ行いを法にのっとったものにすることが大切であることは言うまでもないと思います。いままでのように弛緩しきった生活を緊張感を以て一人一人が改めることこそ大切とおもい子や孫の為、後世の人々の為にも自らを戒めたいと思わせられました。