福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

必死に祈願してもお陰がなく神仏を恨んでいるとお陰を受けた話。

2023-03-04 | 頂いた現実の霊験

必死に祈願してもお陰がなく神仏を恨んでいるとお陰を受けた話。

 

・「古今著聞集」「盲人熊野社に祈請して開眼の事」(三年も祈願した盲人がお陰がないので熊野権現をうらんでいるとお陰を受け懺悔する話です。)

「熊野に盲のもの斎燈をたきて眼のあきらかならん事を祈るありけり。此勤三年に成りけれども、しるしなかりければ、権現を恨みまゐらせて打ふしたる夢に、『汝が恨むる所、そのいはれなきにあらねども、先世の報をしるべき也。汝は日高の魚にてありしなり。彼の河の橋を道者わたるとて、南無大悲三所権現と、上下諸人唱奉る聲をききて其の縁によりて魚鱗の身をあらためて滴(たまたま)うけがたき人身を得たり。此の斎燈の光にあたる縁をもて、又来世に明眼を得て次第に昇進すべき也。此の事をわきまへずして、みだりに我を恨る、おろかなり』と、はじしめ給ふとみてさめにけり。其の後懺悔して一期をかぎりて此役を勤めける程に眼も開きにけり。」

 

・「宇治拾遺物語 巻第七」「長谷寺参籠の男利生に預かる事」(貧乏侍が観音様に祈願して最期には長者になるわらしべ長者の話ですが、ここでも貧乏侍は長谷寺の観音様に二十一日も参篭した挙句に霊験がなければここで死にますと観音様を脅かします。)

「今は昔父母主もなく妻も子もなくてただ一人ある青侍ありけり `すべき方もなかりければ `観音助け給へ `とて長谷に参りて御前に俯伏し伏して申しけるやう `この世にかくてあるべくはやがてこの御前にて干死に死なん `もしまた自らなる便もあるべくばその由の夢を見ざらん限りは出でなまし `とて俯伏し伏したりけるを寺の僧見て `こはいかなる者のかくては候ふぞ `物食ふところも見えず `かく俯伏し伏したれば寺の為けがらひ出で来て大事になりなん `誰を師にはしたるぞ `何処にてか物は食ふ `など問ひければ `かく便なき者は師もいかでか侍らん `物給はる所もなく `哀れ `と申す人もなければ仏述給はん物を食べて仏を師と頼み奉りて候ふなり `と答へければ寺の僧ども集まりて `この事いと不便のことなり `寺の為に悪しかりなん `観音をかこち申す人にこそあんなれ `これ集まりて養ひて候はせん `とて代る代る物を食はせければ持て来る物を食ひつつ御前を立ち去らず候けるほどに三七日になりにけり

`三七日果てて明けんとする夜の夢に御帳より人の出でて `この男前世の罪の報いをば知らで観音をかこち申してかくて候ふこといと怪しき事なり `さはあれども申す事のいとほしければ聊の事計らひ給はりぬ `先づ速に罷り出でよ `罷り出でんに何もあれ手に当らん物を取りて捨てずして持ちたれ `疾く疾く罷り出でよ `と追はるると見て匐ひ起きて約束の僧の許行きて物打食ひて罷り出でけるほどに大門にて蹴躓きて俯伏しに倒れにけり

`起きあがりたるにあるにもあらず手に握られたる物を見れば藁すべと云ふ物ただ一筋握られたり `仏述給ふ物にてあるにやあらん `といとはかなく思へども `仏の計らせ給ふやうあらん `と思ひてこれを手弄りにしつつ行くほどに・・」

 

 

・「神道集」「三島大明神の事」は三島大明神の由来を記した以下のような内容です。「伊予国三島郡に橘清政という長者が住んでいた。長者夫妻には子がなかったので、長谷寺の観音に祈ったところ、長者の持つ宝と引き換えとして男の子を得、玉王と名づける。貧乏になった夫婦は、木の実やわかめを拾って玉王を育てていたが、ある時鷲に玉王をさらわれてしまう。二人は探しに行くが見つからず、山中で七年間過ごすこととなる。鷲は阿波国の頼藤右衛門尉の家の枇杷の木に玉王を置いて去り、玉王は頼藤の子として育てられるがその美しさの故に目代の子、国司の子と次々に貰われていき、やがて帝の目にとまり宮中で寵愛されるようになる。十五歳の時、四国から上京した百姓たちの話を偶然聞いて自分の出生を知った玉王は、実の父母を探すために四国へ行き、やっと老い衰えた両親と再会することができる。この清政夫婦は死して三島大明神となり、玉王は伊予国の一宮と顕れた」。

最初に長者夫婦が子宝を授かるべく長谷寺の観音様に祈願する様子は以下のように書かれています。ここでも清政夫婦は観音様に祈願して挙句に脅していますが財宝と引き換えに子宝を授かります。

「清政長者泣々被申けるは、是程に枝無き身と生て候清政なれば、全く旧里へは帰るべからず、 帰ちても何かはせん、 男子にても女子にても、一人の子を与へ給はぬ程ならば、 清政腹を舁破、 佛の御頸に取付進て、狂ひ死に、此御堂をば大魔王の栖と成して、此の堂へ参らむ者をば取殺し鹿の伏土と成しては、観音を御堂ヘ奉らばこそ衆生をも利益し給はめ・・・願は只授給へと、仏旦を押動し、御戸帳を引てこそ歎かれけれ是くて伏給へる夢の枕に、観音は前の形の如く現して、悲哉、子を与んと思へば子種なし。与へざれば自害して人を殺さんといふ。自らなにかすべしとも覚へず・・」

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