1,古来日本人は死ねば仏と考え、死者を怨親平等に扱ってきました。
・高野山には敵味方供養碑が多く建っています。元寇の役の敵味方、第二次大戦時のビルマ戦における敵味方、信長と光秀等枚挙に遑がありません。古来日本人は死者を敵味方問わず大切にしてきました。最近でも例えば
・西南戦争の犠牲者を葬った南州墓地は、明治10年西郷隆盛以下薩軍が全滅した直後の12年に鹿児島県令岩村通俊により官軍の許可を得て作られています。政府も恩讐をこえて弔意を表したわけです。
・山口県長門市には常陸丸遭難者の墓碑と露艦戦士の墓碑が並んで立っています。1904(明治37)年、陸軍の御用船・常陸丸は将兵ら1千余人を乗せて中国へ向かう途中、玄界灘でロシアの軍艦に砲撃されて沈没しました。長門市の通村は、流れてきた多数の遺体を丁重に葬りました。すぐ翌年1905(明治38)年には、30数隻からなるロシア・バルチック艦隊が対馬沖で日本海軍の連合艦隊と交戦して壊滅しましたが、この時も長門市の通村では浜辺に漂着したロシア人兵士の遺体を手厚く埋葬し墓碑をつくっています。現在も、地元民が敵味方の別なく供養をしているということです。https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjStcWm07P6AhU7nFYBHa4vCHYQFnoECAgQAQ&url=http%3A%2F%2Fwww.qsr.mlit.go.jp%2Fsuishin%2Fstory2019%2F05_2.html&usg=AOvVaw3cr4_QPD-6mCPfMXdFlErc
2,逆に中国や朝鮮半島は死者に鞭打つのが伝統でした。史記に「死者に鞭打つ」の語源となった伍子胥の話があります。伍子胥は楚の平王に父兄を殺されましたがその後平王の墓をあばき死骸を三百回鞭打って恨みを晴らしたということです。最近でも新日派とされた韓国の金玉均(19世紀)は暗殺されたのちに凌遅刑に処されたうえでバラバラにされ、胴体は川に捨てられ、首は京畿道竹山、片手及片足は慶尚道、他の手足は咸鏡道で晒されています。今でも慰安婦問題などに見るようにこの「恨」の遺伝子は色濃く残っています。
3,今回のテロの犠牲になられた安倍総理の国葬に反対する者はこのような歴史から考えるとまさに中国朝鮮半島の伝統遺伝子を忠実に継いでいる連中であるといえます。少なくとも日本人の血を受け継いでいるとは思えません。そしてこのような「恨」の思想の行きつくところはなにかと考えざるをえません。
4,このような「死者に鞭打つ」行為の行末は「鞭打つ者の自滅」です。伍子胥の知人の申包胥は死者に鞭打つことを非難しましたが、それに対して伍子胥はこれも有名な言葉を吐いています。「吾日暮れて途遠し。吾、故に倒行して之を逆施す」(私は年老いて時間は無い。道理など考える暇はないから非常識な振る舞いをしたのだ)と弁解しています。そしてその後讒言(ざんげん)にあって自分自身が自殺に追い込まれています。
5,今の安倍総理憎しのあまりテロを礼賛する風潮は必ず左翼陣営自身にふりかかり今後右翼勢力のテロが頻発することとなりひいては極右政権の誕生となることは目に見えています。教養のないということは恐ろしいことです、今更無理ですがよくよく古典を勉強すべきでしょう。