福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

東洋文化史における仏教の地位(高楠順次郎)・・その14

2020-09-19 | 諸経
 また西蔵の一切経もあり蒙古のもあり満州のもある。満州の一切経はシナにもう一部あるかないかというくらいかと思いますが、元三部あって一部はロシアとフランスに分けられております。一部は奉天の黄寺にあるということでありましたから、ちょうど日露戦争の時に私は末松男爵に随ってロンドンに三年戦争中に渡って滞在した時があり、まだ戦争が始まらぬ前に、日本を出る時どうせ奉天も日本の兵が占領するに違いないから、黄寺にある満洲経をどうか日本に取り寄せることが出来れば取って戴くことを願うということを時の宮内大臣に申し送った。宮内大臣もそれを諒とせられ、だんだん日本軍の進むに従って出先の山懸参軍にその事を申し送り一切経収容のことを希望された。然るに「今度の戦争は正義の戦争で分取りに類することは一切しない。殊にシナの中立地帯からたとえそれが大切なものであっても、これを無償で取るということは一切出来ない、これは陛下の思召しと雖もお断り申してくれ」ということであった。それを宮内大臣が明治天皇陛下に申上げられたところ、それほど大切な物なら内帑の金で買ってやれ、と仰せになって御内帑金二万円をお出しになって満洲の一切経を買入れの上大学にお下げになって頂戴したのであります。
 そうして日露戦後私は帰って見たところ満洲経として下げられたのは満洲の一切経でなくて蒙古の一切経であった。蒙古蔵ならばまだ幾つもある、満洲蔵は三つしかないその一つを得るのだから大切と思っていたのだから。その時内藤湖南君が朝日新聞から満洲に行くということであったので実地について調べて貰った。行って見るとその侭にある。ところが黄寺の方では無論分取られると思っておったのにお金を戴いたものでありますから、満洲経は景物としてその侭差し上げましょうということで、陛下のお蔭で満洲経と蒙古経と両大蔵を得たのであります。それを両方とも大学へお下げを戴いた、私は非常に喜んだのであります。その後振天府に入れてありました西蔵の一切経、これも要るなら下げてやろうということでこれも有難く下げて戴いたのであります。(「現存の大蔵経にはパーリ語(南伝大蔵経)、チベット大蔵経、蒙古語、満州語、邦訳がある。・・」密教辞典)
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