福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

修験宗旨書・・・5

2017-12-05 | 諸経
修験宗旨書・・・5
十界本具第五(山伏とは不動明王である
夫れ山伏とは不動明王の身体、十界本具の極位なり。秘記にいわく「不動とは、「不」とは阿字不生の理、「動」とは梵字のかん字風大の義なり。梵字の阿字は胎蔵の大日、梵字のかん字は不動なり。これ即ち中台自証の大日、化他の為に九界に下転するなり。故に不動と名ずく。大空三昧の用は十界に遍じて動揺せず、阿字円明の智は三界に亘って変易あることなし。是を不動の体性と称す。凡そ衆生の生安は十所あり。十界これなり(衆生は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏の十所に生まれる)。十界一如の内証は虚空に等しく凡慮の境界を離れず。是を自性法身といふ。修生顕得の形像は心性に同じて明王の色相に即す。是を入我我入といふ。然れば則ち不動明王の形像について己身十界の義に示しむれば、所謂その身とは、火炎は地獄・黒醜形は餓鬼・迦楼羅焔は畜生・右剣は修羅・童子形となって襷をかける(人間憤怒の形相)、身に環を作し(天道)、袈裟を著し(二乗)、左索(菩薩大悲の索也)、瓔珞を垂らす(仏身荘厳の相)。以上十界の形像なり。聖無動経にいはく「是の大明王はその所居無し、但し衆生心想の中に住したまふ」。行者の心想によって以て明王の住所となる。密厳華厳は我性の心蓮、大日不動は即身の本佛なり。地獄の苦患を捨てんと欲するに、明王の体相なり。仏果の快楽を求めんと欲するは一心中なり。不動三昧を得ずして誰か己身本具の明王を悟らんや。実に是凡夫頓証の直道、修験最極の秘法なり。これらは一家の大事にして師によって授け、胸憶に収め、あえて翰墨に載せるべからず。末代の行者等の断絶せんことを恐るゆえに竊に之を記す。上智一人の外、努々これを示すべからず。


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