福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

修験宗旨書・・・4

2017-12-04 | 諸経
修験宗旨書・・・4
峰中灌頂第四
問う、峰中本有灌頂とは當道の最極なり。誠にしかりや。
答、本有灌頂とは、凡聖互いに毘盧の万徳を具足して闕減あることなし、故に行者の三業を経て自性の法体を示す、凡そ道理とは我らが姿、本覚毘盧の直体なり。その位は甚深無相の至極にして仏祖の伝にあらず。天然の挙手動足、無相の舌相言語、法爾無相の印明なり。出入の命息即ち阿吽の二法、行行座座恒時不断の念誦なり。睡眠無心の時も断絶有るべからず。理趣の釈にいわく「無相三密(本尊の身口意)は仏祖不伝、秘密の奥旨は以心伝心」と。諸法の能生は皆天水の洒により萌芽出生す。これ灑水灌頂なり。三光万物を照らす、光気を得て滋長す。是光明灌頂なり。これらの灌頂は師の指授を受けず、法爾天然の灌頂なり。好んで印明等を用ふるべからず。なんぞ師資相承の灌頂といわんや。

問う、修生灌頂とはいかに。
答、彼の本有の徳、いまだ顕れざるゆえに事の印明を経る、観行の力を以て之を開発し、五瓶の水を以て受者の頂に洒ぐ、これなり。これ皆劣機方便の作法にして、究竟の実義にあらず。故に経(大日経眞言事業品第五)には「甚深無相の法は劣慧の堪えざる所にして、まさに彼らが為のゆえに兼ねて有相の説を存す」と。あるいはまた同じ経(大日経)に「その執を除いてその法を除かず」と。ゆえに十悪を約るに、若し妄執あれば即罪障悪業となり、若し妄執なければ則ち真言密印となる。声字義に云ふ「若し実義を知れば則ち真言と名く。根源をしらざるを妄語と名ずく、妄語は則ち長夜に受苦す。真言は則ち抜苦与楽す。譬ば薬と毒と、迷と悟と、損益不同なるがごとし。誠に是れ縁起難思の妙理、修験最極の大事なり。縦ひ入峰修煉立行の者と雖も、その智にあらずんば聊かも是を示すべからず。

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