福聚講・第15回坂東33観音霊場巡礼の記録(2010-11-13)
今回の巡礼先は、第22番札所・妙福山佐竹寺(北向観音)と第21番札所・八溝山日輪寺。JR水群線・常陸太田駅改札口13時集合。曇り。駅前から徒歩で佐竹寺へ。緩い上りの県道61号線を道なりに進む。赤や黄色に紅葉した木々が一行を楽しませてくれる。(ゴミを拾いながら歩く…クリーン坂東)13時25分佐竹寺着。山門を潜って本堂へ。
佐竹寺は、寛和元年(985年)花山法王の御発願、元密上人の創建で、本尊は聖徳太子お手彫りの十一面観音(本尊)という。その後、佐竹氏の祈願寺として栄え、六支院、三ケ寺の大寺であったが、幾度かの戦乱を経て現在は山門(昭和15年築、仁王像は江戸時代作。)と本堂を残すのみ。ただこの本堂は、天文15年(1546年)建立、茅葺きの大屋根で、単層、裳階付き、寄せ棟造り、唐破風のみごとな造りの建築(重文)。山門の正面に位置する本堂の佇まいには、日本人が昔から親しんできた木造建築の持つ、やすらぎがあり、その歴史を刻んだ重さからくる落ち着き、風趣を感じる。
外陣に入り参拝。般若心経三巻、観音経二巻、十三仏ご真言、光明真言を各七回、納経する。天井の高い薄暗い外陣を出ると、境内の黄金色に彩られた大銀杏がひときわ目を惹いた。佐竹寺を14時発、常陸太田駅に再び徒歩で戻り15時着。常陸太田駅15時12分発、上菅谷乗り換えで常陸大子へ。久慈川沿いの里山が車窓に流れて行く。常陸大子駅16時着。タクシーで、本日の宿泊先「余暇活用センターやみぞ」へ。16時40分着。
翌日、宿を7時50分発、バス停「センターやみぞ」発8時5分。終点、蛇穴着8時45分。バス停から登山口の大鳥居までの道沿いでは、燃え立つ赤や黄に色づいた紅葉に迎えられた。緑の木々が、この様な派手な色を秘めていたかと、自然の不思議に感動する。目を見張るほど鮮やかな彩りで私達を喜ばせてくれている木々に感謝しながら、歩を進める。大鳥居をくぐり暫く登りの車道を進むと、左に八溝山旧登山道の標識があり、そこから山道に入る。
少し急な登りを過ぎ広い尾根道に出る。熊笹の茂った雑木林の道を進み(徒歩55分)再び林道へ。暫くして道路の右手に日輪寺入り口の道標。ここからは山道。山際の狭い道を下り、小さな山葵田のある沢を越え登りに。
杉の大木の合間に、紅葉した木々が映える。上がるに連れて風に誘われて散る葉が多くなり、足下を柔らかな道に変えている。林が裸木になり始め、空が、明るく見え始めた頃、日輪寺着10時40分(歩き始めてからおよそ2時間弱)。一行の中で健脚の3人は、頂上の八溝神社へ往復(40分)。
日輪寺は、八溝山脈の主峰、八溝山頂(福島県、栃木県、茨城県にまたがる)8合目・標高810メートルにある山岳信仰の霊場。札所一の難所であったが、今は、道が整備され、車で容易に行ける。
寺伝では、役行者が天武天皇の時代(673年)に創建されたとつたえる。「八溝日輪寺旧記書類写」によると、弘法大師が大同2年(807年)、八溝川に香気と梵字を感得、二体の十一面観音を刻み、日輪・月輪の二寺を建て観音霊場とされたという。仁寿3年(853年)、慈覚大師の来錫を縁として天台宗に属し今日に及んでいるとのこと。鎌倉時代には、間口16間・総欅造りの本堂を持つ大伽藍であったが、幾度かの戦火や廃仏毀釈に遭いその堂宇は灰燼に帰した。昭和49年、茨城、福島、栃木の三県に亘る地元信者や全国巡礼者の浄財により、現在の五間四面の鉄筋コンクリート造りのお堂が再興された。
お堂に上がり参拝。般若心経一巻、観音経一巻を納経。静かなお堂でお経をあげていると、日頃多忙の中で見失っている自分を取り戻し、気持ちが浄化されていくのを感じる。亡くなった人への鎮魂と、生きていく者への感謝の心がわき上がる。
日輪寺を12時10分発、蛇穴バス停13時49分着。バスの時刻表をみる。一日にわずかしかないバス便が一分後にある。急ぎもせず、休憩もして時間を気にすることなく歩いてきたのに。みな一様に、観音霊場巡礼のお陰と感謝の思いに溢れる。時刻表通り13時50分にバスが来て乗車。14時30分、常陸大子駅着。14時41分水戸行きに乗車、水戸着16時2分。水戸駅で解散。
<列車の中での高原師の法話で印象に残ったお話>
「全ては一つである。よって心も一つである。自分が嫌なことを相手に云えば、それは即ち自分にいっているのと同じ。自分が嫌なことを他人にすれば、それは即ち、自分に対してしているのと同じ。相手を思いやることは、自分を思いやること。日常生活で、腹が立ったり悔しい思いをしても、すべての人の心は大きな一つのものだと考えれば嫌な気持ちは解消する。それは、皆、自分が作り出したことなのだから。また自分も他人も同じ一つの心と思えば、他人に腹を立てる事は自分に腹を立てることになる。この考え方は、心の健康法としてとても有難い。すべての出来事はそう考えれば納得出来る・・・」
*上記の法話は、福聚講ブログ2010.11.12の「・・朝の瞑想の時に、深層心理を感じた・・」と意識が深まり「深層海流は四千メートル以上の深さを千年以上かけ地球を廻っていますが・・・心の深層海流もこれ以上の働きをしているはずです」を分かりやすく話されたものとのこと。
参加者:高原講元、高橋、岡村、米田、菊池、関口(2人)計7名。
今回の巡礼先は、第22番札所・妙福山佐竹寺(北向観音)と第21番札所・八溝山日輪寺。JR水群線・常陸太田駅改札口13時集合。曇り。駅前から徒歩で佐竹寺へ。緩い上りの県道61号線を道なりに進む。赤や黄色に紅葉した木々が一行を楽しませてくれる。(ゴミを拾いながら歩く…クリーン坂東)13時25分佐竹寺着。山門を潜って本堂へ。
佐竹寺は、寛和元年(985年)花山法王の御発願、元密上人の創建で、本尊は聖徳太子お手彫りの十一面観音(本尊)という。その後、佐竹氏の祈願寺として栄え、六支院、三ケ寺の大寺であったが、幾度かの戦乱を経て現在は山門(昭和15年築、仁王像は江戸時代作。)と本堂を残すのみ。ただこの本堂は、天文15年(1546年)建立、茅葺きの大屋根で、単層、裳階付き、寄せ棟造り、唐破風のみごとな造りの建築(重文)。山門の正面に位置する本堂の佇まいには、日本人が昔から親しんできた木造建築の持つ、やすらぎがあり、その歴史を刻んだ重さからくる落ち着き、風趣を感じる。
外陣に入り参拝。般若心経三巻、観音経二巻、十三仏ご真言、光明真言を各七回、納経する。天井の高い薄暗い外陣を出ると、境内の黄金色に彩られた大銀杏がひときわ目を惹いた。佐竹寺を14時発、常陸太田駅に再び徒歩で戻り15時着。常陸太田駅15時12分発、上菅谷乗り換えで常陸大子へ。久慈川沿いの里山が車窓に流れて行く。常陸大子駅16時着。タクシーで、本日の宿泊先「余暇活用センターやみぞ」へ。16時40分着。
翌日、宿を7時50分発、バス停「センターやみぞ」発8時5分。終点、蛇穴着8時45分。バス停から登山口の大鳥居までの道沿いでは、燃え立つ赤や黄に色づいた紅葉に迎えられた。緑の木々が、この様な派手な色を秘めていたかと、自然の不思議に感動する。目を見張るほど鮮やかな彩りで私達を喜ばせてくれている木々に感謝しながら、歩を進める。大鳥居をくぐり暫く登りの車道を進むと、左に八溝山旧登山道の標識があり、そこから山道に入る。
少し急な登りを過ぎ広い尾根道に出る。熊笹の茂った雑木林の道を進み(徒歩55分)再び林道へ。暫くして道路の右手に日輪寺入り口の道標。ここからは山道。山際の狭い道を下り、小さな山葵田のある沢を越え登りに。
杉の大木の合間に、紅葉した木々が映える。上がるに連れて風に誘われて散る葉が多くなり、足下を柔らかな道に変えている。林が裸木になり始め、空が、明るく見え始めた頃、日輪寺着10時40分(歩き始めてからおよそ2時間弱)。一行の中で健脚の3人は、頂上の八溝神社へ往復(40分)。
日輪寺は、八溝山脈の主峰、八溝山頂(福島県、栃木県、茨城県にまたがる)8合目・標高810メートルにある山岳信仰の霊場。札所一の難所であったが、今は、道が整備され、車で容易に行ける。
寺伝では、役行者が天武天皇の時代(673年)に創建されたとつたえる。「八溝日輪寺旧記書類写」によると、弘法大師が大同2年(807年)、八溝川に香気と梵字を感得、二体の十一面観音を刻み、日輪・月輪の二寺を建て観音霊場とされたという。仁寿3年(853年)、慈覚大師の来錫を縁として天台宗に属し今日に及んでいるとのこと。鎌倉時代には、間口16間・総欅造りの本堂を持つ大伽藍であったが、幾度かの戦火や廃仏毀釈に遭いその堂宇は灰燼に帰した。昭和49年、茨城、福島、栃木の三県に亘る地元信者や全国巡礼者の浄財により、現在の五間四面の鉄筋コンクリート造りのお堂が再興された。
お堂に上がり参拝。般若心経一巻、観音経一巻を納経。静かなお堂でお経をあげていると、日頃多忙の中で見失っている自分を取り戻し、気持ちが浄化されていくのを感じる。亡くなった人への鎮魂と、生きていく者への感謝の心がわき上がる。
日輪寺を12時10分発、蛇穴バス停13時49分着。バスの時刻表をみる。一日にわずかしかないバス便が一分後にある。急ぎもせず、休憩もして時間を気にすることなく歩いてきたのに。みな一様に、観音霊場巡礼のお陰と感謝の思いに溢れる。時刻表通り13時50分にバスが来て乗車。14時30分、常陸大子駅着。14時41分水戸行きに乗車、水戸着16時2分。水戸駅で解散。
<列車の中での高原師の法話で印象に残ったお話>
「全ては一つである。よって心も一つである。自分が嫌なことを相手に云えば、それは即ち自分にいっているのと同じ。自分が嫌なことを他人にすれば、それは即ち、自分に対してしているのと同じ。相手を思いやることは、自分を思いやること。日常生活で、腹が立ったり悔しい思いをしても、すべての人の心は大きな一つのものだと考えれば嫌な気持ちは解消する。それは、皆、自分が作り出したことなのだから。また自分も他人も同じ一つの心と思えば、他人に腹を立てる事は自分に腹を立てることになる。この考え方は、心の健康法としてとても有難い。すべての出来事はそう考えれば納得出来る・・・」
*上記の法話は、福聚講ブログ2010.11.12の「・・朝の瞑想の時に、深層心理を感じた・・」と意識が深まり「深層海流は四千メートル以上の深さを千年以上かけ地球を廻っていますが・・・心の深層海流もこれ以上の働きをしているはずです」を分かりやすく話されたものとのこと。
参加者:高原講元、高橋、岡村、米田、菊池、関口(2人)計7名。