今日はお地蔵様の日ですが今昔物語にはお地蔵様をお祀りして疫病を逃れた話があります。
今昔物語巻十七第十話 僧仁康祈念地蔵遁疫癘難語 第十
「今昔、京に祇陀林寺と云ふ寺有り。其の寺に仁康と云ふ僧住けり。此れは横川の慈恵大僧正の弟子也。心に因果を信じて、三宝を敬ひ、身に戒行を持(たもち)て、衆生を哀ぶ事、仏の如し。
而る間、治安三年1024と云ふ年の、四月の比、京中、及び天下に疫癘盛りに発て、病に死ぬる輩多かり。然れば、道に死屍隙無し。此れに依て、上中下の人、空を仰て歎き合へる事限無し。
而る間、仁康の夢に一人の小僧有り。其の形ち端厳也。房の内に号び来て、仁康に告て云く、『汝、世の無常なる事を観ずや否や』と。仁康、答て云く、『昨日見し人は見えず。朝に見る者は夕には失ぬ。此れ、只近日也』と。小僧、咲て云く、『世の無常、今始めて愁ふべからず。若し、汝事に於て其の恐れを思ひ、速に地蔵菩薩の蔵を造て、其の前にして功徳を讃歎すべし。然れば、近くは五濁に迷ふ輩を救ひ、遠くは三途に苦ぶ者を訪はむ』と宣ふと見て、夢覚ぬ。
其の後、仁康、道心を発して、忽に大仏師康成(定朝のこと)が家に行て、相語て、不日に地蔵の半金色の像を造りて、開眼供養しつ。其の後、地蔵講を始行ふ。道俗男女、首を低(かたぶけ)て、掌を合せて来り臨て結縁す。
而る間、其の寺の内、并に仁康が房の内に、更に疫癘の難無し。亦、此の夢の告有る事を聞て、仁康が得意と有る者共、及び、横川の人々、此の講に縁を結べる輩、皆敢て此の難無し。『此れ、希有の事也』と云て、其の地蔵講、弥よ繁昌也。
此の如くして、仁康、既に年八十に及て、命終る時、心違はずして、西に向て直(うるはし)く居て、阿弥陀仏、並に地蔵菩薩の名号を唱て、眠るが如くして失にけり。
然れば、二世の利益、地蔵菩薩の誓に過たるは無しと知て、世の人、専に信じ奉るべしとなむ、語り伝へたるとや。」
確かに地蔵菩薩本願経には二十八種のご利益のうち第六に「疾疫不臨」とあります。
今昔物語巻十七第十話 僧仁康祈念地蔵遁疫癘難語 第十
「今昔、京に祇陀林寺と云ふ寺有り。其の寺に仁康と云ふ僧住けり。此れは横川の慈恵大僧正の弟子也。心に因果を信じて、三宝を敬ひ、身に戒行を持(たもち)て、衆生を哀ぶ事、仏の如し。
而る間、治安三年1024と云ふ年の、四月の比、京中、及び天下に疫癘盛りに発て、病に死ぬる輩多かり。然れば、道に死屍隙無し。此れに依て、上中下の人、空を仰て歎き合へる事限無し。
而る間、仁康の夢に一人の小僧有り。其の形ち端厳也。房の内に号び来て、仁康に告て云く、『汝、世の無常なる事を観ずや否や』と。仁康、答て云く、『昨日見し人は見えず。朝に見る者は夕には失ぬ。此れ、只近日也』と。小僧、咲て云く、『世の無常、今始めて愁ふべからず。若し、汝事に於て其の恐れを思ひ、速に地蔵菩薩の蔵を造て、其の前にして功徳を讃歎すべし。然れば、近くは五濁に迷ふ輩を救ひ、遠くは三途に苦ぶ者を訪はむ』と宣ふと見て、夢覚ぬ。
其の後、仁康、道心を発して、忽に大仏師康成(定朝のこと)が家に行て、相語て、不日に地蔵の半金色の像を造りて、開眼供養しつ。其の後、地蔵講を始行ふ。道俗男女、首を低(かたぶけ)て、掌を合せて来り臨て結縁す。
而る間、其の寺の内、并に仁康が房の内に、更に疫癘の難無し。亦、此の夢の告有る事を聞て、仁康が得意と有る者共、及び、横川の人々、此の講に縁を結べる輩、皆敢て此の難無し。『此れ、希有の事也』と云て、其の地蔵講、弥よ繁昌也。
此の如くして、仁康、既に年八十に及て、命終る時、心違はずして、西に向て直(うるはし)く居て、阿弥陀仏、並に地蔵菩薩の名号を唱て、眠るが如くして失にけり。
然れば、二世の利益、地蔵菩薩の誓に過たるは無しと知て、世の人、専に信じ奉るべしとなむ、語り伝へたるとや。」
確かに地蔵菩薩本願経には二十八種のご利益のうち第六に「疾疫不臨」とあります。