「日本書紀崇神」「六年(ろくねん)に百姓(おほみたから)流離(さすら)へぬ。或(ある)いは背叛(そむ)くもの有(あ)り。其(そ)の勢(いきほひ)、德(うつく
しび)を以(も)て治(おさ)めむこと難(かた)し。是(ここ)を以(も)
て、晨(つと)に興(お)き、夕(ゆうべ)までに惕(おそ)りて、神祇(あ
まつかみくにつかみ)に請罪(のみまつ)る。」とあるように国中が疫病などで乱れていて崇神天皇が神にお伺いを立てると大物主を祀れと出たので
「日本書紀崇神七年」「十一月(しもつき)の丁卯(ひのとのう)の朔(ついたち)己卯(つちのとうのひ)に、伊香色雄(いかがしこお)に命(みことおほ)せて、物部(も
ののふ)の八十平瓫(やそびらか)を以(も)て、祭神之物(かみまつりも
の)と作(な)さしむ。即(すなは)ち大田田根子(おおたたねこ)を以(も)
て、大物主大神(おほものぬしのおほかみ)を祭(いはいまつ)る主(かむ
ぬし)とす。」として大田田根子に大物主大神を祀らせます。
現在の桜井市にある「大神神社」がこれです。