85番八栗寺参道はケーブルカーを横目につま先上がりの急坂になっています。 280mの屋島から下りてすぐ230mの八栗山にのぼることになります。
八栗を含む五剣山はお大師様が求聞持法を修された時、五柄の利剣が虚空より降りてきたので名付けたといわれています。参道にも霊気が漂よっています。 八栗寺の御本尊は大師御作の聖観世音菩薩様です。本堂脇の 石段をのぼると中将坊堂があります。鎮守様です。
参道の途中「霊徳洽三界(霊徳三界にあまねし)」「慈恩潤衆庶(慈恩衆庶をうるおす)」との石碑がありました。
お大師様の霊験は三界にいきわたっていて、その恩を庶民みなが受けているということでしょう。 この坂の霊気は奈良生駒山の慈雲尊者の双龍庵の旧跡への道にそっくりでした。 どちらも狭い急な山道の両側に不動明王やお大師様の石仏がところ狭しとならんでいます。何百年も風雨にさらされつつ山道で無数の庶民の願いを受け止めてきていただいているお姿に粛然として手を合わせました。
1回目のときは寺に着くと諸堂を桧皮色の衣を着た老僧が拝んで回っていました。すれ違いざま「おはようございます」と挨拶するとすこし驚いた様子で「おはようございます」と言っていただけました。納経所の人に聞くとこの方が御住職で毎朝全てのお堂を回りお経を上げておられるとのことでした。
19年夏には若い副住職らしき人が拝んで回っておりこの方とご挨拶できました。さらこのときは聖天堂でお勤めが始まりその後でお経を唱和させていただけました。ありがたいことです。
大師堂の裏では大声で不動真言を唱えている人がいました。
事故で首が折れたが八栗寺にお参りして助かりそのお礼の日課として参拝しているとのことでした。このほか癌から生還した83歳の老夫婦など多くの信者が毎日御参りに来ていると納経所の人が教えてくれました。
八栗寺の参道を下りながら、お大師様の衆生済度の願の強さ深さ、そしてその願を受け継ぎ四国霊場に祈念を込めた多くの清僧や高野聖の存在に涙が止まりませんでした。思わず「ありがとうございます」と声が出ていました。 反対側を登ってくる人がいますが構いません。
◇ ◇ ◇
19年夏には同じ道を歩きながら拝むということはそのあとからお蔭をいただくのでなく拝んでいる瞬間におかげをいただいているという構造になっているのではないかという気がして涙がでそうになります。道元さんは座禅すれば其の瞬間は仏だと喝破されましたがそれと同じです。拝む瞬間は御真言を唱え手を合わせ心に佛様を念じます。口密、身密、意密の三密が仏様と一体になっているのですからとりもなおさずその瞬間に即身成仏しているわけです。即ちお蔭をいただいていることになるのです。 お大師様の「大日経開題」に「三僧祇の遠劫を歴ず、一念刹那の頃において即心自覚の毘盧遮那佛の果を成ぜん」とあります。
遍路のみでなく写経、滝行や近くのお寺で拝むときもじつは拝むたびに即身成仏しているのではないかと思います。そしてそういう縁に出会ったことそのものがすでにお蔭をいただいたことになるのだと思い至りました。
四国遍路では何度泣いたかわかりません。
「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」。
これは一休さんの歌とか天台慈円大師の作とかいわれていますがこの思いは四国遍路共通のものです。大般涅槃経に「仏を信ずる心は人の心の底に横たわっている仏性の表れである。
なぜかといえば仏を知るものは仏であり、仏を信ずるものはほとけでなければならないからである。・・・信を得たものはその信が遠い昔に仏の慈悲によってすでにその因縁が植え付けられていたものであることを知らなければならない。・・・信を得て遠い昔に仏が与えられた深い因縁を喜び厚い仏の慈悲を喜ぶものは、この世の生活そのままに仏の国に生まれることができる」とあります。
八栗を含む五剣山はお大師様が求聞持法を修された時、五柄の利剣が虚空より降りてきたので名付けたといわれています。参道にも霊気が漂よっています。 八栗寺の御本尊は大師御作の聖観世音菩薩様です。本堂脇の 石段をのぼると中将坊堂があります。鎮守様です。
参道の途中「霊徳洽三界(霊徳三界にあまねし)」「慈恩潤衆庶(慈恩衆庶をうるおす)」との石碑がありました。
お大師様の霊験は三界にいきわたっていて、その恩を庶民みなが受けているということでしょう。 この坂の霊気は奈良生駒山の慈雲尊者の双龍庵の旧跡への道にそっくりでした。 どちらも狭い急な山道の両側に不動明王やお大師様の石仏がところ狭しとならんでいます。何百年も風雨にさらされつつ山道で無数の庶民の願いを受け止めてきていただいているお姿に粛然として手を合わせました。
1回目のときは寺に着くと諸堂を桧皮色の衣を着た老僧が拝んで回っていました。すれ違いざま「おはようございます」と挨拶するとすこし驚いた様子で「おはようございます」と言っていただけました。納経所の人に聞くとこの方が御住職で毎朝全てのお堂を回りお経を上げておられるとのことでした。
19年夏には若い副住職らしき人が拝んで回っておりこの方とご挨拶できました。さらこのときは聖天堂でお勤めが始まりその後でお経を唱和させていただけました。ありがたいことです。
大師堂の裏では大声で不動真言を唱えている人がいました。
事故で首が折れたが八栗寺にお参りして助かりそのお礼の日課として参拝しているとのことでした。このほか癌から生還した83歳の老夫婦など多くの信者が毎日御参りに来ていると納経所の人が教えてくれました。
八栗寺の参道を下りながら、お大師様の衆生済度の願の強さ深さ、そしてその願を受け継ぎ四国霊場に祈念を込めた多くの清僧や高野聖の存在に涙が止まりませんでした。思わず「ありがとうございます」と声が出ていました。 反対側を登ってくる人がいますが構いません。
◇ ◇ ◇
19年夏には同じ道を歩きながら拝むということはそのあとからお蔭をいただくのでなく拝んでいる瞬間におかげをいただいているという構造になっているのではないかという気がして涙がでそうになります。道元さんは座禅すれば其の瞬間は仏だと喝破されましたがそれと同じです。拝む瞬間は御真言を唱え手を合わせ心に佛様を念じます。口密、身密、意密の三密が仏様と一体になっているのですからとりもなおさずその瞬間に即身成仏しているわけです。即ちお蔭をいただいていることになるのです。 お大師様の「大日経開題」に「三僧祇の遠劫を歴ず、一念刹那の頃において即心自覚の毘盧遮那佛の果を成ぜん」とあります。
遍路のみでなく写経、滝行や近くのお寺で拝むときもじつは拝むたびに即身成仏しているのではないかと思います。そしてそういう縁に出会ったことそのものがすでにお蔭をいただいたことになるのだと思い至りました。
四国遍路では何度泣いたかわかりません。
「なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」。
これは一休さんの歌とか天台慈円大師の作とかいわれていますがこの思いは四国遍路共通のものです。大般涅槃経に「仏を信ずる心は人の心の底に横たわっている仏性の表れである。
なぜかといえば仏を知るものは仏であり、仏を信ずるものはほとけでなければならないからである。・・・信を得たものはその信が遠い昔に仏の慈悲によってすでにその因縁が植え付けられていたものであることを知らなければならない。・・・信を得て遠い昔に仏が与えられた深い因縁を喜び厚い仏の慈悲を喜ぶものは、この世の生活そのままに仏の国に生まれることができる」とあります。