今、世界の宗教は 10
東南アジア史にみる豊饒な政治演出力
荒木 重雄
アンコール遺跡の秘密
王がなぜ王であり、統治の正当性をもつのか。この難問を説明する論理を王権思想という。
インド文化の影響を受けた東南アジアには古来、ユニークな王権思想が花開いた。
まず、紀元前後から14・5世紀頃まで各地に興亡したヒンドゥー王国の王たちが採った王権思想は、王はヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神やシヴァ神の化身であって、地上における神である、という観念である。これをデーヴァ・ラージャといい、サンスクリット語でデーヴァは「神」、ラージャは「王」で、すなわち「神聖王」であるが、王は神の化身、超越的な権威の持ち主として住民の尊敬と畏怖を得る。これが権力の基盤であった。
そのためには、王には、自らがデーヴァ・ラージャであることを住民に示し納得させることが必要になる。そこで考案された演出装置のひとつが、たとえば、アンコール王朝(9~15世紀)によって造られた、かの有名なカンボジアのアンコール・ワットやアンコール・トムの遺跡である。
バイヨンとよばれる中央神殿を中心に回廊や濠や城壁を巡らした壮大な王都の構造は、じつは、メール山(中国でいう須弥山)を幾重もの大洋や山脈が囲むとするヒンドゥーのコスモロジー(宇宙論)を模したミクロコスモス(小宇宙)なのである。
宇宙の構造を地上に再現する神の化身たる王。このイメージこそアンコール王朝の権威の源であり、したがって、旅行パンフレットにいわれるように栄華を極めた帝王が権勢を誇ってこれを建てたのではなく、逆に、王が王であるために不可欠な演習装置として、歴代の王たちが豪壮・華麗な王都や神殿の造営に王朝の命運をかけたのである。
神話劇による政治
米国の文化人類学者クリフォード・ギアツによって「劇場国家」と名づけられたインドネシア・バリ島などはもうひとつの興味深い例を示している。バリでは10世紀から19世紀までヒンドゥー小王国が群立していたが、ここでは、王が興行元になり、僧侶が演出を担当し、農民が俳優と裏方と観客を兼ねる仕組みで、年に何回かヒンドゥーの神話劇が上演され、この演劇が政治の基盤となっていた。すなわち、神々が降臨し宇宙の理想が実現される王国こそ聖なる場所であり、そのような神話劇を主宰する王は神の化身たる神聖王と了解されていたのである。
このことを理解するためには、東南アジアで「王国」という場合、それは必ずしも私たちが知る現在の国家のような制度的な領域支配を意味するものではなく、ある王の神聖性、カリスマ性が住民に認められ受け入れられる範囲が王国であったという歴史的事情を解する必要がある。バリでは、各地の王たちによって競われたその劇の規模の大きさや内容の豊かさ、上演頻度をもって住民の支持は移り、それによって王国の力も決まったのである。また、王と住民が一つのシナリオを共有することから、支配・服従の関係よりも「共同作業としての政治」の色彩が表立つことにもなった。
仏教では王は菩薩
東南アジアでは13世紀頃からヒンドゥーが衰退し、仏教とイスラムに色分けされることになるが、では、仏教王国での王権思想はいかなるものであったのか。
それはカルマ・ラージャ(「菩薩王」)およびダルマ・ラージャ(「正法王」)の観念である。カルマ・ラージャのカルマとは「業」、前世の行いであって、すなわち、王が現在、王であるのは、過去生において無限の功徳を積んですでに菩薩となった存在であるから、とされ、そのことじたいで王である正統性を得ていることになる。一方、ダルマ・ラージャのダルマ「正法」とは仏教の教えに基づく道徳、正義をさし、王は仏教の理想をこの世に行い、護り、広めることにより王である、という観念である。そしてこの両者が相俟って、菩薩である王がこの地上に仏の理想を実現するという論理をもって住民の尊敬と支持を獲得したのである。
この場合も演出装置が重要になる。それが仏塔、伽藍の建立である。それゆえ、パガン朝以来のビルマ諸王朝(10世紀~19世紀)でも、スコータイ朝以来のタイ諸王朝(13世紀~)でも、夥しい数の壮麗な仏塔、伽藍を建立し、併せてサンガ(教団)の庇護者を任じてきたのである。現在もタイの王家に寄せられる国民の厚い信頼はここに由来する。
さて、翻って、現在に目を向けると、政治の「劇場」化やメディア戦略化、ポピュリズムは世界的な趨勢となっているが、東南アジアの歴史的な政治的演出力、すなわち、王の神聖性・カリスマ性をめぐるフィクションとロマンを王と民で共有しながら、行政機構や軍事力よりも、壮麗な神殿や寺院、煌びやかな装飾品や神秘的な儀礼など、めくるめくシンボル装置、意味論的象徴性を王権の存立基盤とした豊かな演出力に比べると、あまりに貧しく、底の浅いものに思えるのである。
東南アジア史にみる豊饒な政治演出力
荒木 重雄
アンコール遺跡の秘密
王がなぜ王であり、統治の正当性をもつのか。この難問を説明する論理を王権思想という。
インド文化の影響を受けた東南アジアには古来、ユニークな王権思想が花開いた。
まず、紀元前後から14・5世紀頃まで各地に興亡したヒンドゥー王国の王たちが採った王権思想は、王はヒンドゥー教の神であるヴィシュヌ神やシヴァ神の化身であって、地上における神である、という観念である。これをデーヴァ・ラージャといい、サンスクリット語でデーヴァは「神」、ラージャは「王」で、すなわち「神聖王」であるが、王は神の化身、超越的な権威の持ち主として住民の尊敬と畏怖を得る。これが権力の基盤であった。
そのためには、王には、自らがデーヴァ・ラージャであることを住民に示し納得させることが必要になる。そこで考案された演出装置のひとつが、たとえば、アンコール王朝(9~15世紀)によって造られた、かの有名なカンボジアのアンコール・ワットやアンコール・トムの遺跡である。
バイヨンとよばれる中央神殿を中心に回廊や濠や城壁を巡らした壮大な王都の構造は、じつは、メール山(中国でいう須弥山)を幾重もの大洋や山脈が囲むとするヒンドゥーのコスモロジー(宇宙論)を模したミクロコスモス(小宇宙)なのである。
宇宙の構造を地上に再現する神の化身たる王。このイメージこそアンコール王朝の権威の源であり、したがって、旅行パンフレットにいわれるように栄華を極めた帝王が権勢を誇ってこれを建てたのではなく、逆に、王が王であるために不可欠な演習装置として、歴代の王たちが豪壮・華麗な王都や神殿の造営に王朝の命運をかけたのである。
神話劇による政治
米国の文化人類学者クリフォード・ギアツによって「劇場国家」と名づけられたインドネシア・バリ島などはもうひとつの興味深い例を示している。バリでは10世紀から19世紀までヒンドゥー小王国が群立していたが、ここでは、王が興行元になり、僧侶が演出を担当し、農民が俳優と裏方と観客を兼ねる仕組みで、年に何回かヒンドゥーの神話劇が上演され、この演劇が政治の基盤となっていた。すなわち、神々が降臨し宇宙の理想が実現される王国こそ聖なる場所であり、そのような神話劇を主宰する王は神の化身たる神聖王と了解されていたのである。
このことを理解するためには、東南アジアで「王国」という場合、それは必ずしも私たちが知る現在の国家のような制度的な領域支配を意味するものではなく、ある王の神聖性、カリスマ性が住民に認められ受け入れられる範囲が王国であったという歴史的事情を解する必要がある。バリでは、各地の王たちによって競われたその劇の規模の大きさや内容の豊かさ、上演頻度をもって住民の支持は移り、それによって王国の力も決まったのである。また、王と住民が一つのシナリオを共有することから、支配・服従の関係よりも「共同作業としての政治」の色彩が表立つことにもなった。
仏教では王は菩薩
東南アジアでは13世紀頃からヒンドゥーが衰退し、仏教とイスラムに色分けされることになるが、では、仏教王国での王権思想はいかなるものであったのか。
それはカルマ・ラージャ(「菩薩王」)およびダルマ・ラージャ(「正法王」)の観念である。カルマ・ラージャのカルマとは「業」、前世の行いであって、すなわち、王が現在、王であるのは、過去生において無限の功徳を積んですでに菩薩となった存在であるから、とされ、そのことじたいで王である正統性を得ていることになる。一方、ダルマ・ラージャのダルマ「正法」とは仏教の教えに基づく道徳、正義をさし、王は仏教の理想をこの世に行い、護り、広めることにより王である、という観念である。そしてこの両者が相俟って、菩薩である王がこの地上に仏の理想を実現するという論理をもって住民の尊敬と支持を獲得したのである。
この場合も演出装置が重要になる。それが仏塔、伽藍の建立である。それゆえ、パガン朝以来のビルマ諸王朝(10世紀~19世紀)でも、スコータイ朝以来のタイ諸王朝(13世紀~)でも、夥しい数の壮麗な仏塔、伽藍を建立し、併せてサンガ(教団)の庇護者を任じてきたのである。現在もタイの王家に寄せられる国民の厚い信頼はここに由来する。
さて、翻って、現在に目を向けると、政治の「劇場」化やメディア戦略化、ポピュリズムは世界的な趨勢となっているが、東南アジアの歴史的な政治的演出力、すなわち、王の神聖性・カリスマ性をめぐるフィクションとロマンを王と民で共有しながら、行政機構や軍事力よりも、壮麗な神殿や寺院、煌びやかな装飾品や神秘的な儀礼など、めくるめくシンボル装置、意味論的象徴性を王権の存立基盤とした豊かな演出力に比べると、あまりに貧しく、底の浅いものに思えるのである。