福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

人間を五十年六十年七十年やってきて、いいかげん人間の玄人になれたかどうかや。

2016-07-31 | 法話
「あんたら、人間を五十年六十年七十年やってきて、いいかげん人間の玄人になれたかどうかや。いくつになっても素人のまんまとちがうか。

玄人と素人とどうちがうか。人間の知恵の限りを働かせて作った飛行機がしょっちゅう衝突したり、故障したり、天候が悪いと欠航する。これ、空飛ぶ素人。

トンボみてみ。空中衝突して落ちたなんて聞いた事ない。これが玄人がやぞ。

山へ樵夫が入って樹を伐り倒す。根元から倒され、枝葉を払われ、皮は剥がされ、割られけずられ、柱や板にされる。細かく刻まれ、竈にくべられ、火にかけられて黒焼きになり、切り刻まれて俵に詰められ、炭になる。一寸試し五分試し、地獄の責め苦をそのままに、ここまでされても、樹は文句ひとついわず、されるままにまかせ切り。
これが玄人。

人間はどうじゃ。ちょっとかげんが悪いと、血相変えて薬や医者や何や彼やと、悲鳴をあげて転がりまわったあげく、『まだ死にともない。もう一度生まれかわって』としがみつく。これ、素人やないか。」
(高光大船・・浄土真宗僧侶、1879~1951、暁烏敏、藤原鉄乗と共に加賀の三羽烏と称された。)





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