「親子は一世、夫婦は二世」
最近夫婦関係の破綻が多いようです。それもちょっとした原因ですぐ別れ話になってしまうケースを見ます。離婚は現代人が思っている以上に大悲劇です。出典は不明ですが古来日本ではこの「親子は一世、夫婦は二世」という言葉が人口に膾炙されてきました。過去、現在、未来を仏教では三世と言います。親と子の関係は現世だけで終わる一世のもの、夫婦は現世と来世または過去世と現世の二世に渡るつながりの強いものであるという意味です。「二世を契る」とはここからきています。夫婦は現世に於いて「仏縁」に導かれて一緒になった仲です。逆に離婚は二世にわたる佛縁に導かれた縁を自分で仏様に無断で切ることになります。大悲劇のもとです。「不可思議の縁(えにし)の海に浮かびぬる、共にいのちのともずなを解く」とは印度哲学者東大名誉教授玉城康四郎先生の歌です。重々無尽の縁の中で奇しくもむすばれ、「いのち」の海を共に渡ることになった夫婦という縁はじっくりと考える必要があります。(もっとも既に不可逆的ステップに進んでしまった人は、次の「佛縁」を待つほかないということになりますが)
最近夫婦関係の破綻が多いようです。それもちょっとした原因ですぐ別れ話になってしまうケースを見ます。離婚は現代人が思っている以上に大悲劇です。出典は不明ですが古来日本ではこの「親子は一世、夫婦は二世」という言葉が人口に膾炙されてきました。過去、現在、未来を仏教では三世と言います。親と子の関係は現世だけで終わる一世のもの、夫婦は現世と来世または過去世と現世の二世に渡るつながりの強いものであるという意味です。「二世を契る」とはここからきています。夫婦は現世に於いて「仏縁」に導かれて一緒になった仲です。逆に離婚は二世にわたる佛縁に導かれた縁を自分で仏様に無断で切ることになります。大悲劇のもとです。「不可思議の縁(えにし)の海に浮かびぬる、共にいのちのともずなを解く」とは印度哲学者東大名誉教授玉城康四郎先生の歌です。重々無尽の縁の中で奇しくもむすばれ、「いのち」の海を共に渡ることになった夫婦という縁はじっくりと考える必要があります。(もっとも既に不可逆的ステップに進んでしまった人は、次の「佛縁」を待つほかないということになりますが)